0451話:2018年06月01日

ようこそいらっしゃいました。
もう私は早く引っ込んで、金さんの音楽を聴いていただきたいと思いますけれど。今日に至った経緯というか、金さんの最近の秘密というのを皆様にお伝えしたいかなと思います。

◇一つひとつ、出会いから学ぶ

今回で三回目ですね、冨士祝祭、鎮魂組曲1、それから今日の鎮魂組曲2で、ちょうど一年三ヶ月ぶりか、四ヶ月ぶりになります。何度もお足をお運びくださった皆様もいらっしゃいますけども、本当にありがたいことであると思っております。この場をお借りして、皆様方に感謝したいと思います。
金さんはですね、なかなか神秘的な部分が沢山ありますから、ミステリアスというかですね、そういう部分を考えると、こういう人だ、あるいはこんな人だ、あるいはこんな芸術家だ、作家だ、というように、色々な金さんの能力の広さ、高さ、ということにもなるんですけれども。非常に、得体の知れぬ、底の深いというのか、沢山の能力が詰まっている、そういうお人だということになるんですけど。
ちょうど、石牟礼道子さんが今年二月にお亡くなりになったんですけども、石牟礼さんの「花の億土へ」という映像は、非常に皆さんに感動を与えられ、もちろん金さんの凄いところというのは、一つひとつ出会いがあると、そこから学んでしまうというかですね、そういうしっかりと自分のものにしていくという能力が、特に優れているというかですね。
もちろん芸術家のお父さんお母さんが培ってくれた原風景と言いますかね、映像もそうですけれども、ご両親とも画家であらせられたということもありましょうし、そして映画にお父様が携わられていたということもあろうとは思いますが。
その芸術というもの、今、彼が、日々行なっている、創作活動というものは、明らかに彼のそういう原風景と言いますか、子供の時の原体験の影響がはっきりと見えてくるというかですね、もちろん、結果、彼の中に、そういう才能が収まっているわけですけども。

◇彼が受け継いだもの

鶴見和子さんや、石牟礼道子さんからは、多分、アニミズムというか、そういう自然的なものが、そして、それを守ることが大切なんだというところをしっかりと受け継がれたのではないのかなと。
しかも、それを映像としても、しっかりと出された。シャーマニズムもそうですけれども、ひとつの原始信仰という捉え方で宗教学的には言われておりますけど、まさに原始信仰を総覧して彼は映像にしていくわけですね。

その結果、満州シャーマンもエスノグラフィルム映画祭で、世界的な評価を得たということはあるわけですけども、やはりそれはご自身の、そういうシャーマニックな、彼は芸術家はシャーマンでなければいけないということを言うくらいですから、当然、シャーマニズム、シャーマンとしての資格というか、あるいはそういう素養というか、自覚というのは、はっきりあると思うんですね。
そういうあたりは、彼がシャーマニズムというものを、一種の彼が受け継いだものを、それを私は、たまたまそういう研究を昔していたことがありますから、そういうシャーマンを沢山見てきたからですね、この人はわかる方なんじゃないのかということでですね、長く満州シャーマンを追いかけておられた、その本人がシャーマンだと思うんですけどもね。

◇満州と高麗と日本と、共通のトーテムが

実はそのシャーマンの中身が、満州シャーマン、そして、高麗、それから日本というですね、同じようなシャーマニズムですね。それがもともとは、ツングースか、あるいはバイカル湖周辺の民なんかいずれにしても、北方のシャーマンの系統なのかもしれませんけども、それがはっきりと今の、日本の中にも、くっきり残っているんだということを、それが白川伯家神道の中にも残っているんだということを、今回はっきりと証明できたのではないのかなということがあるんですね。
それはどういうことかと言いますと、実はこれはシャーマニズムの一つの作品になるというような、アニミズム、シャーマニズム、そして、トーテミズムというのでしょうかね、ついに動植物をひとつの自分たちのトーテミズムというか、分類上はあるわけですね。
その中で共通項を彼は見つけたんですね、満州と、それから高麗と、日本のその、それがカラスだったんですね。三本足の八咫烏さんということはありますけれど、多分、高麗も、満州も同じカラスであるというか、それは当然、清王朝にも伝わっているわけですけど、そういうものを彼ははっきりと発見したんですね。
それは非常に凄まじい執念というか、彼のDNAのなせる技かもしれませんけどね、満州と日本の架け橋というもの、そのところが多分この今回の鎮魂組曲パート2の中にですね、東アジアの平和を祈ると言うかですね。そのトーテムの姿が見えるというか。

◇平和へ繋ぐ曲が、このアジアに流れて・・・

本来、シャーマンというのは、民族の平和や安全の為に生きた人たちの技だと思うんですね。ですから、そういうものを彼はしっかりと、この曲の中に、はっきりと示されたのではないのかなということですね。そういうところが非常に素晴らしい。
神鳥(しんちょう)というか、神の鳥が最初に出てくるシーンもあるんですけど、そういうものをまずはじめに、そのことはですね、まだ、そういう連続性と言うんですかね、満州から、高麗へ、あるいは日本へのカラスの連続性というのが、まだわからないというような、示した東アジアの平和の為の、普通はですね、武道も、戦争の為の一つの方法というかですね、何かに使われてしまうことが日本の神武天皇の問題もありますけど、そういうものを超えてあるものを、それを今度は平和に繋ぐという、戦争の為の情報ではなくて、平和の為の情報や、平和になる研究、そういうものに変わっていくことが大事なことではないかということを非常に感じる曲で、その曲を流す、聴いていただくというか、このアジアに流れて、これからこの1年間に流して、平和が訪れたんじゃないかと、そんな勝手なことを思うんですけどね。トーテミズムというのが、人間の一つの生き方みたいなもの、あるいは、DNAの安全性とか、それから一族が、近親交配しないようなことを伝える為の、そういうメッセージが、この原始信仰の中にあったと言えると思うんですね。

◇折口信夫の「死者の書」を映像に

今、彼は、また次のステージへ進化しようとして、すでにロストマンチュリアサマンの第2弾ももう出来ているんですけども、その先に今度は、折口信夫の「死者の書」という小説を映画化しようということで、すでにだいぶ用意が整って進んでいるんですけども、これはまた、そういう折口氏は日本の民俗学というか、にんべんの「俗」の方ですね、フォークロアの、そういうところでの学びをした日本の、釈迢空(しゃくちょうくう)と言いますから、ほんとは、短歌と言いますか、和歌と言いますか、その才能はもう千年に一度ぐらいの才能を持った方であると言われているんですけども。
それくらい日本の民族と文化に対しての深い視点を持っているわけですけど、その折口信夫の「死者の書」というのは、二上山の、大津皇子と、それからお姉さんの、大伯皇女とのひとつの悲しい物語があるんですけども。
大津皇子の鎮魂というものを大伯皇女がされたということ、それが二上山のそういう物語なんですけど、それと平安時代の中将姫という曼荼羅を織っていくという世界があるんですけども、それが小説の「死者の書」になっていくわけですけど・・・。その辺りもいよいよ、彼は映像にするということでですね、今、二上山とかですね、その経緯は色々、彼が今、本にしているものがあるんですけど、今日、表紙を今ちょっと見せちゃおうかなと。(笑)

◇亡くなっても神になれるか、どうしたらそれが叶うか

「光と風のクリエ」これが相当なページ数でですね、6月に出る彼の本で、こんな感じで出るということであります。
まだ本決まりではないですが、これの中にも一部出てくるんですけども、「死者の書」をですね、ここからは私の勝手な想像ですけど、多分、原始信仰からのですね、神の世界、人ももちろん神なんですけども、人も神になるというようなことを、古神道の中には、遠津御祖神というような言い方があるんですけども。
そういう神になるということをですね、折口信夫は自分の子供である方が戦死されたんだと思うんですけど、その方の為に、鎮魂頌(ちんこんこう)というですね、これを作詞されて、信時潔(のぶとききよし)さんが作曲したものがあるんですが、その詩の中に、「あはれそこよしやあはれはれさやけさや神生れたまへり」というところがあるんです。戦争のために亡くなった自分の子供が神になったということを確認した、ということを歌の中で表現されているんですね。
ですから、人という種が、今、共に一緒に平安清明というかですね、平らけく、安らけく、清らけく、明けく、生きられるような、ということは、それぞれの我々が生きていれば、生きている遠津御祖神になる、だけども亡くなっても神になるというか、どうしたらそれが叶うかということをですね、多分、金さんは今回の小説の映画化「死者の書」の中で、それを試みられるのではないかと、私の勝手な想像で、間違っていたらごめんなさいですけど、彼の未来のありようを勝手に予言して話したりしています。

◇光と風によって織りなす創造

これからの全容がこの本で見えるかなということを感じて、非常にこの本が出ることを喜んでおりますし、そこからまた彼の新しい創作の、まさにこの表題のように、「光と風のクリエ」というクリエイション、創造ということですね。
彼の光と風ということは、すでに五行の木火土金水や、空(そら)という、空(くう)というんですかね、五行や五大を超えているんだということですね。最初に私がお願いしたのは、ナイン・エレメントというか、9つの自然の要素というのかですね、それはやはり、彼の光と風ということを通じて創作ということをする、自然の動き、心の動き、あるいは、その働き、まさにそういう光という映像と風という音楽によって創り上げる、織りなす創造であるということが、今回の表題になっているんではないかと感じております。
なんか本の宣伝ばかりして、恐縮なんですけども、ちょっと読ませていただいたんですけど、非常に、これからの学生さんたちが、教科書になるようなものなんじゃないのかなと感じた次第でございます。
今日は鎮魂ということでございますので、是非とも、その世界を、今また世界がメディテーションということでですね、だんだん、心理学で科学するような方向に行こうとしておりますが、これからも鎮魂ということでですね、一つの科学的な面も持って、役に立つような時がくるのではないかと、それを芸術として表現していただくということを通じて、そこから我々がさらに鎮魂の深い世界に入れるんじゃないかということを感じております。
長くなりましたけれども、今日はどうぞお楽しみいただきたいと思います。
どうもありがとうございました。