0454話:2018年06月03日

◇才能はどうして生まれたのか

今、チャイルド・アーツ・アカデミーを、これからの日本、あるいは、世界を支えていく人材を、育てるプログラムの予行演習といったら、失礼ですけれども、もう本番が始まっているのではないかと思っております。
たまたま、金曜日に、金大偉さんの「CHINKON2EastAsia」鎮魂組曲2コンサートという演奏会が、高円寺であったんですが、そのときに、「金さんとは、一体、どういう人なんでしょう?」という問いかけの中で、今、金さんの半生ではないけれども、これまでの作品の集大成のようなものを編集して、本にさせていただいているんですが。
「光と風のクリエ」という表題で、オリジナルの書き起こしのところが、殆どですが、一部、新聞や雑誌に出てきた評論もまとめています。これが結構な厚さになりまして、金さんの今までの歴史が垣間見れます。もちろん、芸術家でも、特異な統合アートというような、要するに、芸術を、また、自分の中でまとめると。
そういう中で、主に、映像なんかでもって、今の時代というのは、評価をだんだんとするようになったという歴史があると思うんですが、カンヌ映画みたいなものも、そうですよね。彼も、「ロスト・マンチュリア・サマン」という映画で、エスノグラフィルム国際映画祭で、世界的な評価を受けたわけですね。
これは、評論家の中の評論家といいますかね、民族学、エスノロジーというんですが、特に、その人達が集まって選んだもので、最後のトリを飾ったといいますかね。そういうこともあったんですが、彼の才能が、どうして生まれたのかなということを考えてみたんですけれどもね。

◇ベースになる原体験

やはり、たまたま、お父様は、満州というか中国の方ですけれども、お母様が、日本の方で、両者とも、画家だったというところは、たしかに、そういう能力を育む、きっかけというか、美術に進むのは自然な流れかなとは思うんですが。
お父様が、ある時期に、映像関係で、映画を上映するようなことをお仕事にしていた時期がございまして、映像というものが、表現方法として、焼き付いていたのかなということを考えますと、もちろん、後に、影響を受けた作家や、芸術家もいらっしゃるわけですよね。
昨日も、染色工芸家の芹沢銈介(せりざわけいすけ)先生の息子さんで、考古学者の芹沢長介さんや、我々も、相沢忠洋、千恵子さんを通じて、色々と関わりがあったんですが、芹沢銈介さんのお弟子さんで、柚木沙弥郎さんという方がいらして、もうその方だって、九十四歳になられるのですが。その方が若き日に、倉敷の美術館で見た、芹沢先生の日めくりカレンダーに、衝撃を受けたということで、染色の仕事に入ったということを、日曜美術館で放送しておりました。そういう、目覚めるきっかけというのが、人生においては、あると思うんですが。やはり、一番きっかけになる、ベースになる世界というのは、何なのかということを、よく考えたことがあるんですが、どうも、原体験といいますかね。小さい時の原体験、あるいは、その原体験をしている時の一つの風景といいますかね、景色といいますか、そういうものを、原体験、あるいは、原風景と呼んでいます。
初めて、自分が、接する世界といっても良いし、その時の一つの衝撃というか、それが、自己実現ということの中で、ベースになるというんですかね。より良きものというか、それが、より良いものだと。

◇全ての存在に命を見る

動物行動学的にいえば、鳥が生まれた後、母鳥を、雛鳥が追ってついて行く様な、動物行動学の実験でもありますけれども、人間を動物に見立てたら、失礼ですけれどもね。でも、三歳くらいまでは、まだ、動物的な構造、食べるという所と息をする所が、分かれていなくて、一方通行というか、片方しか使えないという哺乳類の時が、二歳六ヶ月くらいまであると言う研究者もいますが。
白川では、人間は人間であるという、五魂というか、そういう魂を誕生してすぐにもらうことを、十種を受けると言います。
原始的な信仰というものも、アニミズムというか、全てのものに、精霊が宿るというんですかね、その存在物に、精霊があるというのは、ちょうど、魂になる前の細かいメッシュの存在と捉えても良いと思うんですが。そういう精霊信仰があって、それを自然というものの中には、一つひとつ生きた精霊があるから、大切な存在なんだと。その中から、命というものを見つめる目が養われることになったというのか、あるいは、感じとるいうことを、長い人類の歴史の中で、そういうことを受け継いできているんだと思うんですね。
だから、これは、信仰というよりも、事実、真実と受け止めていたんだと思うんですが、そういうものが最初にあって、金さんなんかも、やはり、社会学者の鶴見和子さんや、水俣の石牟礼道子さんの実感された自然観やアニミズムの世界を受けて、学んでいったのは間違いないんですが。その後、シャーマニズムや、あるいは、トーテミズムという動物崇拝の世界に必然的に関心が移行するわけですが。
そういう原始の時代に、人が、自然、あるいは、生きもの、動物、あるいは、人間の存在に触れて、様々な学びをするというところが、人の進化にとって大事な体験というんですかね。それを、今、我々が、それを子供たちに、そういう触れ合う機会を与えようとしています。

◇里山の風景を自然世界の入り口に

そのままの自然というのも、パタゴニアに行ったり、南極とか北極に行けば、あるのかもしれませんけれども、あるいは、サバンナとかですね。つい、この間も、サバンナに行かれる方が、「どう動物を鎮魂したら良いか」を聞きに来られたこともありますけれども。
自然というものを、そういう自然の中の自然に行ってみるということも、良いんですが、遠いので、なかなか、毎月とか、年に何回も行くというのは、難しいところもあると思いますが。
少なくとも、我々が、景色というか、そういう自然に習った存在をお作りして、その中で、共に接してみるという、視覚とかその見え方が、子供の場合には、すぐに天体望遠鏡を見たいという子供さんも、いらっしゃるとは思いますけども。やっぱり、身近な所の視野というのは、我々、大人よりも、目が低い位置にあったり、視野も見つめるということにおいては、ある面では、狭くなっているわけですから、その中で、体感するものに、影響を受けると。
たぶん、十歳前後くらいまでは、原体験、原風景というものが、非常に、大きな影響を与えるんじゃないかなと。そういうものが、ですから、一つの風景として、我々が、里山とかいっているのは、そういう風景としてあると、非常に入り込みやすいというか、自然世界に入る入口になるのではないのかなといえると思うんですね。
そういうものが、文学でもそうですが、一つの自己表現の導入になる。それを、一つの日本的風景論ににわかに落とし込むのも性急ですけれども、日本人が自覚した、感じた景色から作り上げた、人工的な部分もあるんだけれども、なるべく自然の要素を残して、際立たせ、その上で、その景色を自覚させ、そして愛でると。それは、歌や短歌や俳句に、その手法中に残っていると思うんですね。

◇自然そのものの美しさではなく、「真景」という捉え方

ですから、その景色を、たぶん、井坂先生流にいうと、江戸時代の言葉としては、まことの景色、真景(しんけい)という捉え方で、この祝殿の周りも、そういうふうな真景に値するもの、景色として、馴染むようなものとして、ここに構想を作っていただいたということがあるわけですね。
ですから、「真景」という捉え方に近いのかなというのがあって、自然のありのままの美しさと、ある面では、違った美しさも出てくるというんですかね。例えば、山を切り開いて、棚田を作ったと、そのまま、山を見ても綺麗だったと思いますが、そういう棚田にして、しかも、それが、一筋で、水が供給できるような機能美も入った田んぼになるんですけれども。
そういうものを、一つの景色にした時に、それが、この上なく、愛しいというそういう風景というものが、一つの自然とは違うんだけれども、自然よりもことによったら美しいものがあるかどうかは別にして、少なくとも、そういうものを美と感じるような心象風景というものなのか。
我々が、どうしても、この地球に生まれ、この宇宙に存在しているということは、少なくとも、自然からの乖離というんですかね、ある面では、離れるというところも、人工という形ですけれども、あるということ、そのことが、また、一つ、人というものが、進化していくというところにも、繋がるようなことが含まれているということは、必然的に考えないといけないところになるわけです。
ですから、そういうものを含めた自然というものと、人の関わり、私は、いつも、それを、人と自然のコミュニケーションというところで生まれるものと言っていますが。

◇楽しむことが、一つの命の在り様

それが、昨日も、最初から、柚木沙弥郎さんが、要するに、「楽しければ、良いんだよ」って、九十四歳にして生きるということの哲学というものを、言われていて。
私も、奈良毅先生から、「和楽だよ」と言われていたことを思い出しました。神道も、神遊びと、一番楽しいことは、神と遊ぶというところが、楽しいんだという捉え方もあるんですが。少なくとも、楽しむと、身体が楽しんでいない時には、草冠を付けて、いわゆる、薬草というんですか、そういうものを食べて、また元気になって、楽しむと。
それを、楽しむというふうに、これは勝手にくっ付けたような話なので、流してください(笑)。楽しむということが、一つの命の在り様だというんですかね。笑って、癌が治った方も、沢山いらっしゃるんですね。それは、笑うというか、楽しみ、喜びというか、私の父も、”喜ぶ”という字が、非常に好きで、孫に、喜和(きわ)という名前を付けたことがありました。
要するに、自然というものと人間とが、交流する中で起こる一つの喜びというんですかね。たぶん、朝、太陽があがる時も、一年に一回、この三嶋神社で、小さい時はやっていましたけれどもね、正月の太陽があがる時に、一つの花火が上がって、そして、みんなで、合掌するわけですね。そして、太陽をあびるということを、正月の一日にやりますけれども。
関英男先生は、百日、毎朝やれば、超能力が出てくるなんてことを、よく言っていたんですね。願いがみんな叶うんだと。私も、若い頃、やってみましたが、全然、超能力みたいなものは、出ませんでしたけれどもね。でも、非常に良い経験でした。いつも、朝、六時頃には寝ていましたから、学校に行く時に起きて、また出掛けていくという学生時代でしたけれども。

◇子どもの頃の、そこに神がいたという自覚

朝、太陽を見て、あるいは、途中も良いんですが、子供の頃は、何というか、将軍家や天皇家に、”御所柿”という柿を献上していた時があって、うちの柿の木は、百年、二百年の木があって、それにしめ縄が張ってあって、「この木には、絶対に、登ってはいけない。これは、天皇陛下に食べていただくのだから」と言われたので、二階の屋根から、柿を取るようなことをしていたこともあるですが。柿の木が、自然に伸び放題になるから、自然の木の美しさがあるんだと思うんですね。そういうものを見て、感激したり、また、夕日が沈む時は、赤い光の中に、神を感ずるというんですかね。
ですから、私達の小さい頃は、この地域に、今から六十年も前は、自然の中に、神がいたというか、ですから、神様がいるのが、当たり前というか、その神様も、精霊だったかもしれないし、あるいは、自然の形を変えたものや、そこから出てきた一つの何か動物的な世界かもしれませんよね。
でも、そこに神がいたという自覚は、その中で遊んでいたということを体験していたから、何もそういう意味の後に起こる宗教というものを研究しないといけないようなことになるわけですが。
少なくとも、宇宙を創った存在というものは、あるというのが、当たり前だと思ったし、そういう何処にでも神がいるのが、当たり前ということの中でのことであって、そのことを、逆に、証明するために、学問をしたようなところがあって、ですから、私の場合には、何か、そういう意味の能力開発には、全然ならなかったのではないのかなと思ってはいるんですが。
少なくとも、金さんや、信原さんは、三歳でもって、百人一首を全部暗記したりするような環境の中にいたと。今は、お医者さんではなくて、音色で神を感じるような世界を表現していただいているわけですけれども。

◇日本の役割

言葉というものは、大祓と言霊と鎮魂という言い方で、リベラルアーツの自由七科という科目から、お清め三科と呼んでいるんですが、そういうものがあって、そういうものに行くためということは、神学のため、神の学びのために、そういう学問があるというところから、西洋の学問というものがあると思うんですね。
少なくとも、日本というものは、その辺の学問を、この百五十年で、音楽も芸術も含めて、西洋の芸術を、受け入れて、純粋に、それを、自分たちの生活の中で、あるいは、生き様の中で、それを表現してみるということをしたと。
そして、また、もう一つリベラルアーツと並んで大事な、メカニカルアーツという技術というものも、純粋に、それを科学として取り入れて、軽薄短小ということを言われてしまいたけれども、小さくする薄くするという意味のことを技術として、やったことが、”はやぶさ”の宇宙技術になるわけですね。そういうことが、きっと日本の役割として、やってきたのではないのかと。ですから、必ず、西洋音楽でも、日本人が居ますよね、どこのオーケストラを見ても、一人くらい居ますよね。あるいは、オペラなんて、全然、得意ではなくても、それの第一人者のところで学ぶ人が出てくるし、この間も、マリア·カラスから、学んだ人がいたということも分かったんですが。そういう西洋の音楽というものを、純粋に、取り入れて、それをしっかりと消化するということをやっていたと。
それは、ある面では、音楽と技術だけではなくて、あらゆる、科学的な技術も、役に立つようにということで、やってきたわけですけれども。それも、今の中国にも、韓国にも、アメリカにも、そういう技術を世界にお出ししているわけですね。
それは、ある面では、それを受けて、中国の方が、さらに開発において、ものすごい能力を発揮されていますよね。いよいよ、人口の多い所で、それを、世界のためにと思って、やっておられるわけですね。
ある面では、時代が変わってきたというか、ただ、日本の真似なんかは、もうされていないんですね。そういうこともあるとは思いますが・・・。
「日本は、最後に、お金だけを出せば良いんですよ」みたいなことを言われていますが、この間も、トランプさんから、「お金を出すのは、日本が出せば良い」って、そんなことをいいますけれどもね(笑)もう、舌も出ませんなんて。舌を出す前に、文化を出さないといけないのではないかというのが、一つの我々のやるべきことかなと。その辺りしか残っていないんですね。

◇日本の文化を世界にお出しする

日本文化というのは、まだ、世界に、分かり難いこともあって、お出ししても、「どうせ理解してもらえないから、止めとけ」ということも、あったと思うんですね。しかし、ようやく、日本文化というものを世界に、お知らせしようというのが、今度の国会に通過するということを、先週も、官僚の方とお話をしていたんですけどね。それは、文化法案ですね、日本が、日本の文化を世界に、お出しして、それを交流するというところに、いよいよ、進んできたということは言えると思うんですね。
その時に、日本の一番文化のベースになるもの、もちろん、江戸期だけでも、大量の文化的遺産というのか、富士山も文化遺産ですよね。自然文化遺産という訳のわからないことをいっていますが(笑)
周りに、富士山信仰が残っているからと、それがポイントなんですね。今は、どこにも、無いですよね、江戸時代までは、二百軒くらいあったんですよ、御師の家があって、そこで、富士山の信仰を学んでもらう場所が、富士吉田とか、河口湖にあったんですね。でも、それの一番元になることを、富士山登山と富士山の信仰を広めたのは、七沢家が初めだと、文書に残っているんですけどね。でも、今は無いと、その一番元になった教えは、白川の教えなんですね。白川の教えが、それをカバーしていたんですね。そういうことが、御師の家の膨大に残った文書からも、分かるんですね。そういうこともあって、文化というものが、今や、風前の灯火のようなところもあるわけですね。

◇美術は五行で出来ている

もちろん、それぞれ、どの道を行っても、それも、また、文化的なものからの美術というのは、これは、また、日本の自然との関わりの中にある方法から出来ているということが、はっきりといえると思うんですね。さっきの染色なんかも、そうですけどね。色を染めるということは、五行を使うんですね、木火土金水を使う。それで、色が出るんですね、細かい理屈もあるし、これも文化としては、絶対に伝えないといけない。
あとは、五行といえば、刀鍛冶ですよね。神武天皇の時に、最初に、刀を、そういう権威をお与えになったのは、刀鍛冶ですね。その刀を、高倉下(たかくらじ)という神から、おろしていただいて、そして、それを、今の菟田(うだ)家という九十代の方がいらっしゃるんですが、その方が、今度、お引き合わせ出来る時もくるかと思いますが、菟田家の先祖の方が作って、神武天皇に差し上げたのが、日本の武皇の始まりと。
これは、時代の中で、しょうがないところもありますけれども、平和と武というのが、拮抗しているところがありますけれども、そういうものを、教えてくれた家があって、そこは刀鍛冶なんですね。これも、五行で出来ています、火と土と木と水と金で、作るんですね。まさに、五行そのものといいますか。
だから、一番の日本刀という最高の美の美術が、実は、自然と人間の関わり、五行と人間が、関わってできた技術を使っていくというか。昨日、拝見してそう思ったんですけれども、そういう技術も、自然と人との関わりの中でもって出ると。
ということは、自然を知らないと、本当の良いものは、出来ないということになると思うんですね。自然の仕組みを利用させていただいて、そして、具体的な技術にするということは、ごく普通なことであるわけですが、そういうことを、可能にする方法として、一番大事なところが、自然を迎える、自然をこの手で掴むというのか、あるいは、白川では、水を掬って、その水にお祓いを上げて、その水が独自の動きをするというのを、確認するという水の行というのがあるんですが。
そういう水と一つになるということ、あるいは、水の神を迎えるというところで、様々なことを自然から、あるいは、神からそれを知らせてもらえるとういことが、大事なことになるわけですね。

◇久久能智神、案山子のような神様

ですから、もちろん、今の子供たちの知恵を発達させるために、色んな技術を持っているわけですが、それも、実は、神というんですかね。
これは、元々は、木の神様ですね。知恵の神様というのは、木の神様なんですね、久久能智神(くくのちのかみ)という神様にお願いするわけです。それが、一つの久(く)の智恵の人になるということで、久延彦(くえびこ)という神様になると。白川は、色んな名前を持つことにもなるんですけれども、久延彦という名の人もいますが。これは、案山子(かかし)のような神様ですね。
「何処も行かないけれども、全て知っているよ。そこに、二十四時間いるから」という面白い理由というか、少しこじつけのようですけれども。そういう神様がいます、あるいは、日本書紀に出てくる、宇摩志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこじのかみ)様なんかも、全てを知っているという神様もいるわけですね。
あとは、八心思兼神(やごころおもいがねのかみ)とか、全ての心を知っているというか、ちょうど、メンタルプロセッサの神様ですけれども、そういう存在も、情緒マンダラの神様みたいなものもいらっしゃいます。そういう神をお迎えして、そして、智恵を更に、深くするというふうな学びも、白川の中にはあるということですね。そういう事も含めて、まずは自然というものの中にある働きを掴んでいこうと。

◇泥魂にまみれて、子供は学ぶ

だから、それは、特に、泥の中で、感じるのが一番手っ取り早いといったら、何ですけれどもね。皆さんも、一緒に、田んぼの中に入ったりして、白鳥が雛を育てていく時に、あの綺麗な白い姿が、泥だらけになって、雛鳥を育てるわけですよね。そういう世界というのが、やっぱり、動物にもあるというか。やはり、泥の中に、すべての栄養というか、食べ物があるわけですから、泥まみれになって、教えない限り、それは、掴めないですよね。
口先だけでは、出来ませんから、まさに、鳥も、泥の世界が一番良いということを知っていると。今、鴨なんかも、水の中に、あるいは、泥の中に、いるということが分かりますからね。綺麗に、草まで取ってくれるわけですね。カルガモ農法ではないけれども、そういう農業の方法もあるくらいに、草取りを鴨に任せしてしまうようなところもあるんですね。
そういう泥にまみれて、子供は、そのところから学ぶ、あれは、水と土の合わさった泥ですよね。また、洗わないといけないから、水を感じたりするんですが、それが、精魂であると。荒魂、和魂、幸魂、奇魂までは、今までの神道でも教えるんですが、やっぱり、精魂という泥魂というものを、教えなかったということですね。
ただ、それが、自然を知る一番大事なことというか。なので、ここで真っ先に、作ったのが田んぼですよね。その田んぼが一年くらいで出来るわけがないんですが、デトックスした田んぼを作っちゃいました。これは、あらゆる技術ですね、皆さんで培っていただいた、ゼオライト、ベントナイトそれからフルボ酸、そして金山先生の自然農法の賜物で、ここまで出来ました。これから、稲がどんな実りをもたらすかというのが、まだ、分かりませんけれどもね。

◇神道はお米を中心とした文化の担い手

これも、生きるすべというのが、長いこと、少なくとも、日本では、六千年以上の期間、この田んぼというのが、こういう泥の中に、稲を植えるというのが、始まったというのがあるわけですが。それにまつわる、一つ人類の大事な文化というか、それを一つの文化体系にしたものが、ある面では、この三千年くらいの日本の神道でもあるわけです。
これもまた、文化であって、これは、アジアにもいくかもしれませんよね。タイなんか行っている方でも、タイで田植えをするというのが、非常に、多くなったといわれていますが、その考え方も大事なところかなと、そういうところが文化として、お知らせするということもあろうかと思います。
今は、様々なものを食することが出来ますから、お米ということで、逆に、糖質を取るということを止めるということで、今のアメリカで起こっている健康法なんかでも、そういうこともだんだんと言われたりして、CO2ダイエットということもありますけれども。
これからのお米の文化の様々な、いわゆる、神道がお米を中心とした文化の担い手というんですかね、それを伝える方法として、あったといえると思うんですね。そのところも、また、しっかりと押さえないといけないところではないかと思います。神道の一番、大事なお祭りが、新嘗祭という秋の初穂を神様に献饌する祭りです。それはそれとして、一方では、明治以降、日本に入ってきた、テクニックというか、科学技術というものが進む時の神というか、天機置神というものもありますから、そういう神をお迎えして、更に、高度化すると。
もちろん、一方では、文化というものの神々に働いていただくというのも、烏滸がましいですけれども、そういうお迎えするということをさせていただくということが、あるんじゃないのかなと。

◇自然と人間が織り成すコミュニケーション

金さんの話から、全然、違う方向にいってしまいましたけれども、ポイントは、原体験と原風景ということで、それが、自然と人間との織り成すコミュニケーションの結果できた、一つの技術というか、新しい世界を作っていくという道になるところです。
ですから、たぶん、そのまま、子供さんが、何かを食べるというところでも、色んな観察や手で触れたり、音で聞いたりすることが、あっても良いと思うですね。それが、やっぱり、五行と、さらに空とか風とか光ですね。
要するに、我々が、子供たちに、一つの文化的な才能というものを、表現してもらう時には、やはり、音と光(色)ということだと思うですね。
それが、音楽と美術というか、あるいは、形というもの、染色とか色んなものがありますけれども、そういうものの創造性といいますかね。
ですから、金さんの新しい本の名前が、「光と風のクリエ」、クリエイションということですね。光と風で織り成す芸術ということになるわけですね。ですから、音と光、すなわち、色を使うということ、しかも、それが動くということを、一種の映画ということですかね、今は、3Dとか色んな動画などの表現方法があって、そういう動くということの表現でしょうけれども。

◇ナインエレメンツ

光も、私は、天と地を「モノトーンとトーン」だと表現しているんですね。
白と黒というものを、天と地としたら、そこに、人が感じる、人間は、虹を三色に見たり、五色に見たり、七色には見えないと言われていますが、旧約聖書に出てくる神と人の契約の印としての七色という虹の色になると思うですね。
井坂先生なんかによりますと、一枚一枚の屋根の色が外から見ると青い色があるんですが、祝殿の屋根は、2万色の中から選んだというふうに言っていますが。今は、表現する時に、色が沢山あるということでもあるんですけれどもね。それも、最初は、太陽の色、光というものが、七か、五か、三かということで、音もそうですね、七オクターブだったり、日本音階だと五音階だけですが。
日本でも、ついこの間まで、緑という色はなかったんですね。緑ではなくて、「青」と呼んでいたんですね。少なくとも、七とか五とか三とか、七五三じゃないですよ。
これが、地球の色として、白と黒というモノトーンが、天地としてあるとすると、九行ということで、ナインエレメンツと呼んでいるんですね。最初に、金さんに出していただいたCDも、このナインエレメンツを表現していただくように頼んで、表現してくれたんですね。それが、未だに、名曲として残っているんですが、これが、もう八年以上前ですが、作りました。ちょうど、今、芸術としての世界を、彼が追求する時に、そういう色と音を使って、みんなに表現をされているわけですね。それも、一つそういうことが可能だと。

◇日本の神話の中にあるものから

ですから、これから、更に、今、我々は、ゼロ磁場とかメビウスとか、タキオンとか、グラビトンとか、ロゴストンとか目に見えないような世界を、あるいは、それを掴んでいく、体感していく道を、今からの若い人達に学んでもらうということが、たぶん、それも新しい文化だと思うんですよね。
日本の神話の中にあるようなものから、沢山のものが、南部先生の二六次元とか、あるいは、湯川秀樹さんの中間子とか、そういうものは、たぶん、日本の神話から生まれたというふうに思っているんですが。神話から生まれるというのが、今、子供さんたちに、神話を読んでもらったり、あるいは、それを表現してもらったりしながら、そういうものが、たぶん、タキオンも、天照大神の岩戸隠れという高天原の光の物語なんですけれども、そこでも神話のテーマが光と闇という形であったんではないのかと。
それは、光よりも速いというもの、あるいは、光が、ダークマターというところで、一旦、消えて、生まれるという、今の現代の科学と、日本の神話というのは、また、日本語は、六千、七千ある言語で、たった一つの言語であるように、日本の古事記の神話も、たった一つ神話ではないのかなと思うんですね。

◇神と共に、創造に関わることが出来る

ですから、そういうものを通じて、創造の源を知るというか、やっぱり、一番文化というものが、イキイキする時というのは、クリエイション、クリエイティブというところにあるというか。一神教では、それを神様がされるから、クリエイティブという言葉を使えなかったんですね。日本は、そんなことはないから、初めの神様も自から成る、生まれてくるという、創造されるという意味合いもあるから。
非常に、広い意味で、神というものの世界があるわけですから、ものが生まれる、創造というところを体感できる言語、あるいは、そういう神話というものに基づいて、我々が、神と共に関わることが出来るということ、そういうものを元にして、能力開発をすると。
俳句、短歌を読んでも、神話を読んでも、そういうものが出て来るわけです。ですから、もちろん、言葉が、文化というか、創造するということも、一方では、ありますけれども、そういう音と光というか、そして、言葉というか。
そういうものを、共に、学び、そこから、創造性を学ぶということが、子供たちにとっては、楽しいことになるんだと。
真似ではないと、最初は、学ぶは、真似ぶところもあると思いますけれども、次第に、創造の源に立ち返る方法と、技術を学んで、そこから、また、創造の深みに入っていくということをされたら良いと。それが、今、組み立てされているカリキュラムの中にあるのではないかと。そういうものを、皆さんで、体験していただいて、子供さん達にお伝えするということもありかなと思いました。
すいません、長くなりまして、今日は、ありがとうございました。