0456話:2018年06月05日

◇言葉にも五階層がある

そうですね、言葉もね、やっぱり五階層あるんですよね。我々は、今、五行とか、五魂とか、そういう、今、五つの分類法、組み方、中国思想では、なんでも5つに区切るというのは、特徴ですけどもね。言葉も、私は、まずは5つに区切るということをします。
五階層で、神の言葉、言霊(げんれい)、言魂(ことたま)、それからコミュニケーション等の言語としての言葉というのと、ボディ・ランゲージというかですね。言葉も、そういう五階層の言葉になっているんじゃないかと思うんですね。
人の進化も、自我を持つということからの、一つひとつの由来というんですかね。そういうものには、まず体が体感する寒暑苦楽になる言葉があるんですよね。暑いとか寒いとか苦しいとか楽だとかというのは、楽ということはひとつの、色々こう、つながる、各階層にもつながる言葉ではあるんですけどね。まずは、寒暑苦楽というのは、端的に一例をあげて言えば「あったかい」というようなことは、7500年前の氷河期に、今も氷河期に入るんだなんて言われて、暑かったり寒かったりしていますけども、7500年前にも氷河期になって、前後で、我々肥満細胞を持って太ることができるようになって、それで脂肪を溜め込んで生き延びた体験をしているんですけどね(笑)
寒いということは、命を守ることに対して圧倒的に危険なことだから、「あったかい」ということが生きるための必須条件になります。だから、「あったかい」ということが、温血動物というのは、体温が一定に保てなければ死んでしまうわけですから、そういうものに対して「あったかさ」をくれる太陽はかけがえのない存在で、神にもなっていくんですけどね。「あったかい」ということは、次第に「あったかい」人だという表現にもなっていくわけです。そして、「あったかい」という言葉も、だんだん、変化していくと、愛というか、愛しいとかそういうことも含めた愛がある人だというふうな、そういう表現に捉え方に変わっていくというかですね。

◇愛情表現の範囲が広がると・・・

愛がさらに変化すると、愛情表現の範囲が、広がるというんですかね。いわゆる、自己の愛だけから、二人の愛としての恋愛という形になって、それがさらに子供もできて、家族の愛になったりですね。インドなんかではよく言うんですけれど、PIA(ピア)という先祖に対する愛というのがあります。日本でも先祖崇拝があります。その愛もまたさらに氏族から民族愛という、民族を愛するというような、大和魂というのはそういう世界というか、魂(たま)の世界に登って行ったりして。
さらにそれが普遍になっていくと、広い愛の博愛というかね、あるいは、ギリシャのアガペーというか無条件の愛情とかですね、そういうふうに愛の、あれこれですね。
その時に、博愛というようなものが、宗教の教えの、キリスト教の博愛の精神だったり、仏教の菩薩行というか、慈悲・慈愛というような世界にまで愛情が、愛が広がって、高まっていく。それを今度は、そういう存在そのものを神というように、あるいは仏というふうに言っていくわけですね。それを目指すために修行過程にも、なっているということが、宗教なんかでは修行することになるんですけれども。
少なくとも、そういう、言ってみれば、身体の快・不快の感覚から始まって、だんだん自我が確立していく、子供がそうですけども、だんだん自分というものの存在を、対人、対生き物、対自然との関わりながらだんだん自我が広がっていくということですね。その自我というものがひとつの広がりを持って、それもまた言葉がありますね。
我という言葉と、己という言葉の違いをよく言うんですけれど、自我が自己になるというようなことも、心理学では、ひとつの発達過程というようなものがあると思うんですけどもね。
だから、我々はもちろん、コミュニケーション、自己自身をコミュニケーションする言葉も持つわけですし、寒暑苦楽が愛憎好悪という次元に広がっていくというんですかね。愛と憎しみと、好きだとか嫌いだとかっていうことがはっきりしてくるわけですね。自我っていうものでですね。

◇みんなが平等に思考できる言葉

そういう違いもあるということですけれども、それが、さらに効率が良いか悪いかという言葉になるということですね。それはどういうことかというと、ひとつのコミュニケーションでもそうだし、それが科学と発達というふうな、科学用語のようなものがみんなを平等にして、そして思考できる言葉が発生したりですね。みんなにより良い生き方につながるような、そういう科学的な思考というようなことも、これから、リベラルアーツも子供に教えるときには算数を、と言うか、数の概念なんかはその役に立つわけですよね。
数は自然言語の言葉の概念のように複雑ではないから、誰にでも分かりやすいから、そういうものがリベラルアーツの学びのはじまりとして、今、これを学ばなきゃいけないような時に来ているんですね。
ですから、所謂、今までの神学という高みにいく学びと同時に、子供がどのように科学の発想法を学ぶか、というところが本来は、我々がやっているリベラルアーツのところの大事な部分なんですね。そういうものも、ひとつの芸術の開花というか、引き出すということを井坂先生や信原さんがやってくださっていますけれど。
それと同時に、今度は数学の数の概念を知ってもらう。そうすると理解できる平等感も、そこから始まるわけですね。数の中にあるというか。そういうものを数学として、数として教えていくというようなことも最初にとっかかりとしてはあるんですよね。
そういうものも、数の言語としてのそういう学びがあって、それはひとつのデータもそうですけども、コンピュータもそうですけども、単純な010ではないけれども、そういうもので学ぶことができる、そういうものを持っているということですね。科学性を持っている。それを学ぶ言語もあるということですね。
それがひとつの科学的な方程式というんですかね、数式になって、そしてそれが様々な学問、特に物理学をはじめとする学問から始まって、その手法は、今は人文科学にも今は使われていますけどね。もちろん、社会科学にも使われますけども、そういうものにだんだん広がっていく。そういう数の言葉もあると。

◇山上憶良の発見

今、芸術の言葉というのは、今度はまた、情緒の世界にあるということですから、それがどういうものかということもまた学ぶということも、文学や音楽や美術の芸術ですね。
それをより心地良さというか、情緒というもの、感情から情緒というようなところまで高めたい、そういうものが、歌や詩になっていくわけですね。そういうものが、ひとつのあるんですけどもね。それは結局、言葉の違いというもので、言霊というですね、「言霊の幸ふ国」というふうな、そういう表現になったんですね。
万葉集の頃、既に、山上憶良が、言葉というものが、日本ではちょっと違うねと、彼は外国人だったわけですよね。日本に来て、日本の言霊というものを発見して、これは大変なことだということで、ああいうたくさんの和歌をつくるわけですね。その世界があるということを知ってしまったんですよね。

◇神という概念をどう掴むか

言葉も言霊というようなことになると、1音1音が神の世界に閉じ込められ封印された時期もあるわけですけども、長い間、人類が培ってきたものは、神という概念を、それをどう掴むかということがあって、しかも、それを言葉でどう掴むのかということの内容が、神をどのように表現するのか、あるいは神をどういうふうに受け入れるのか、あるいは神と会話する言語は何か、という問いによって言霊を知ることができるわけですね。
だからそういう言語と言っても、全体が色々複雑で階層があるんですども、そういうものを今我々が科学としても学べるということの中でやっていることが、ロゴストロンという、そういう機械装置の中にそういう言葉が入れられて、それが、我々の体を良くしたり、そういう言語情報というものが入るかどうかということですね。

◇日本語の言霊の、ロゴストロンの試み

機械装置で、そういう電磁波として発信してそれがどうなのか、水の中に入ってどうなのか、そしてそれが我々の情緒の中でどのようにそれが変わっていくのか、それが受け入れられていくのか、その能力が開発されていくのかというようなことまで含めた、そういう言語としての機械言語としてのものも、今やろうとしているということであるわけですね。
ですから、その全体系の中で言語というものを掴まなければならないし、それがこれからいよいよ、人文科学の言語学もようやく科学になろう、一番進んだ科学、人文科学のなかの科学だけども、それもようやく進んでいく時がきたというかですね。
そういう時に、要するに、この我々の普通の自然言語が、どこまで科学の言語として通用するかということの一つの試みが、日本語の言霊の、ロゴストロンのひとつの試み、デジタルにその働きをつくることの試みになっているということで、それがひいては、機械言語が、今まで人間がアナログでやってきた五行との一体化の中で、機械装置もそういう言語として通じるようなことになるのかどうかというところまで含めた、そういうものを、今、やろうとしているということでございまして、けっこう大きく出たな、という感じはしますけども(笑)

◇パラダイムシフト、そのとき言葉はどう変わるか

その辺りも一緒に、これからやっていただくし、面白いことが色々起こって来るんだということで、多分、新しい時代の枠組みですね。パラダイムシフトが起こって来るときのひとつの言葉というものが、どういうふうに変わるかということを、多分、みんなでもってみつめていく、追究していくということをやっていただくということになろうかと思います。
そんなことで、今日はありがとうございました。