0458話:2018年06月08日

おはようございます。
何か、あれば。

●Oさん
最近、車で移動する機会が、非常に、多いものですから、特に、長距離を運転する時には、お祓いとか、六種鎮魂ですね、しっかりとやって、「安全運転に徹します」と、自分に宣言してから、運転することを心掛けています。
それで、やっぱり、機械というのは、単なる道具ではなくて、自分と一緒に、働いてくれる、良き相棒というか、仲間というか、そういう心掛けが、必要だなと思うんですね。やっぱり、天機置師神という形で、顕現するというお話も、今年になってありましたし、そういうふうに、機械を単なる、物質的な塊のようなものとして捉えるのではなくて、命のあるもの、心のあるものとして、自分と相棒として、付き合っていくというのが、すごく大事だなということを、最近、特に強く感じるようになったんですね。
元々、日本人というのは、「物には、すべて、神様が宿っている」という考え方をしてきた民族なので、自分が、そういう日本人に生まれついたということも、非常に、うれしく誇りに思いますし、これからも、自分が作っている機械もそうですけれども、買って使う機械も含めて、心のあるものとして、大事に付き合っていくことが、大事なのではないかということを、つくづく感じています。

【七沢代表】

◇タイヤで擦りながら、空間を分けて進んでいく

運転するのもそうですけれども、昔の乗り物で、馬力なんて、馬が一番速いものであったから、せいぜい最高時速でも60キロ、70キロくらいしか出ませんけれどもね。今は、そういう動物から、機械になったということですよね。要するに、車で移動するということは、どういう事かというと、電磁的にいうと、擦って歩くわけですね。もちろん、こういうものは、昔は兵法で、考えられていた世界なんですね。ですから、戦争する時の集団の動きを、勝利の方程式に上手くもっていくためのものなんですね。要するに、擦っているんですね、タイヤで擦りながら、空間を分けて進んでいくんですけれどもね。
そういう時に、行く方向とか時間とかが、関係があるじゃないかということが、戦争では、死活問題だから、そういう研究を日本では、長い間やっていて、それを兵法学というんですけれどもね。
日本の近年でも、戦争もありましたけれども、それこそ、”大化の改新”とか、ずっと続いているわけですね、勝つための研究が。
要するに、擦っていくということは、そのある方向とか、時間とか、距離によって、影響を受けて、良い悪いのエネルギーと関わるというんですか。もちろん、表面的なエネルギーということも、静電気のようになる場合もありますけれども、電磁波も出たり、色々とあるんですね。その中で、身体や自分の一日とか一週間とか一ヶ間が、より良く、スムーズに進むようなエネルギー場を、擦って掴むというか、そういう事ですね。色んな実験をしてみたんです、二〇年くらい京都に、毎月通っていましたから。五〇年くらい、位置とか方向とか時間とかというものを実験して、だいたい、100%間違いないということが分かったと。

◇速度が速くなって不安になると、エネルギーの場が変わる

だから、元々は、疑似科学ということですね。それを、科学に出来るということも分かっていたんですが。だんだんと速度が速くなると、心理的な要素が出てくるから、不安感があって、運転していても、それはどんな良い方向と時間でも、良いエネルギーの蓄積にならないんですね。
そういうこともあって、どういうふうに、時間が良いかということだけではなくて、心理的な要素、例えば、だいたい、時速100キロを超えてくると、どうしても、緊張すると、エネルギーの場が変わってっちゃうんですね。
それで、ゆったりとした気持ちで運転しないと、かといって寝てはいけないですが(笑)
だいたい、時速100キロで、二時間くらいという範囲があるように思います。ですから、100キロくらいの遠方に出る時に、100キロから先は分からないけど、ちょうど、甲府でいうと、新宿の手前までくらいは、影響があると。それを超えちゃうと、今の時代でも、渋滞にはまったりしますけれども。これも、何十年もやってみた結果です。
要は、身体に、不安がなければ、良い方向で、行くということをやると、たくさんの良いエネルギーが蓄積出来るというか。
それで考えたのが、悪いエネルギーをアースして、やる方法というものも考えたのが、六角炭素の中に、情報を入れたり、あるいは、ロゴストロン100を発信しながら走ったら、どうなるかということも。これも、いつか何処かで、まとまってお話したいと思っています。

◇電気から排出される公害を十分に考えていない

我々も、電気も、全く変わりますよね、プラグインアースにしろ、色々と開発をしていますが、非常に、ノイズのないものをですね、言ってみれば、自動車なんかは、ノイズの塊みたいなものですから、どうしても、脳が影響を受けるんですね。
そういうものを防ぐための装置化というものが、まだまだ、これからいよいよ始まるというか、特に、電気自動車になった時、電気から排出される、いわゆる、公害を十分に考えていないということですね。
それを、どういうふうに、アースしたり、害のないものに変えて、地球に還して行くのかということは、たぶん、これからの非常に、大きな研究テーマになっているんですね。機械と人のコミュニケーション、あるいは、機械と機械のコミュニケーションというものの中で、一番良い結果を生むような、研究というものがあると思うですね。

◇日本文化の機械装置化

それは、やっぱり、機械というものを、さきほど言われましたけれども、天機置師神という存在として捉えるということから、始まる一つの日本文化の機械装置化というか、それが科学技術への貢献だと思うですね。
そこにある問題というのは、どれだけ、人類とか自然のことを考えるのかということが、テーマになっています。それは、一つの文化ですよね。その文化を、日本で、どこまで提供できるかということが、次の時代の日本の役割になるんじゃないのかなと。その時に、機械も一つの神という捉え方が出来る、単なる、物としての道具としてのものではないと。
それは、日本では、言語もそうですよね。単なる、言語が、コミュニケーションの道具でないと。言魂という、あるいは、言霊、あるいは、というふうに、一つの言語というものを、今からの時代の中では、科学化する時が来ているという事と同時に、我々は、物というものを、一つの存在として、神という存在として認めるようなところから、始める一つの文化というものを、これから世界に、お出しして、それが、使い勝手いいか、どうかということを、試されることになると思うですね。

◇天津神の世界も視野に入れる

今、我々は、自然というものを、五行、あるいは、九行という言い方で、それを一つの概念として使おうということで、色んな工夫をしているわけです。
自然というものにも、天地人とか、天というものを、どういうふうに考えるか、存在として捉えるかということが、単なる、宇宙という意味の天、天体の天というか。天体の”体”ということ、見えるということは、天というものを、見えない天と、天の外にある天、天外天とか色々言いますけれども。そういう概念が、天でも、色々とあるということになるですが。その中で、どこまで、そういうものを、自分の中で、一つのエレメントとして、捉えられるかというところが、大事なところで、我々が、それを、天津神というような、天の神といっている世界も、一つの視野に入れないと、今の宇宙物理学とか、そういうものから置いてきぼりになっちゃうというか。
単なる、宇宙というものの、光とダークマターではないけれども、そういう二元的なものだけではなくて、そういうものが、畳み込まれたメビウスのような存在にする概念を、我々は持たないと、たぶん、新しい時代には、追い付かないようなところも出てくると思うですね。

とりあえずは、言葉も物も機械も、神という捉え方の中で、使うことが出来れば、より幅広いことが可能なのではないかと。

◇神を身近に感じられない時代

一神教の神様の場合には、走るときにも、こんなことを(胸の所で十字を切る)、こんなことと言ったら失礼ですね(笑)。それで、走るということをされているわけですが、そういう神様の利用の仕方もありますが。やっぱり、クリエイションということを、あっちに置いてしまったというか。
創造は、神だけだから、神の役割のことは、触れないということで、たぶん、乖離してしまったと。神と人が乖離して、遠くに行ってしまって、その神というものを、自分の身近に、感じられないような時代になったと。
我々は、天機置師神ということで、機械も含めて、身近に、その存在を、機械も神と見立てて、その働きを、客観視したところから、そのお働きをお願いするというか。
コミュニケーションするというところまで、神という範囲を広げていくということが、我々が、やっている大事なところではないかと思うんですね。
ですから、その境地といいますか、あるいは、そういうことで起こる神と人、あるいは、人と機械、あるいは、人と自然というか、そういうことの中で、様々な情緒を感じるということが、一つの文化になるんですね。

◇心地よいかというところが問われる

それが、歌や詩や作品になっていって、それが、心地よいかというところが問われるということになると思うですね。
文化を提供するということは、やっぱり、不快ではダメですけれどもね。そういう心地よさ、楽しさ、そういう喜びというものを、そういうものから、コミュニケーションの中から、お出しするということが、たぶん、これからの大事な役割になんじゃないのかと。そういう意味の文化を提供するということでも、ありますけれども。
その前段では、一つの社会科学的な、より住みやすい経済や政治や、そういうことも含めた科学にしなければいけないから。その辺りも含めて、視野に入れて、その歩みを、そういう文化、少なくとも、一万五千年という持続可能社会を思考してきた、日本の縄文時代からの文化を、もう一度問うて、どこまで役に立てるのだろうかということを、共にやってみましょうということですね。
我々のこういう言霊と鎮魂と祓いということを、ベースにした一つの人と神、人と自然、人と人が、より良い社会になるための方法論を、共に、出し合ってみるということが、その中にも、当然、機械のところがあるということなんです。それも、色々とより良い方法を、提供できるのではないかと。
少なくとも、千五百年くらいの間の中でも、あるということは、言えるんじゃないかと。
だから、リベラルアーツの中のテクニカルアーツというものも、しっかりと提供すると。
単なる、技術だけではなくて、如何にしたら、人と機械のコミュニケーションが、円滑で、楽しいものになるかというところを、そういうものを、開発していくというところにいくことで、一つの今の単なる機械としてのインターネットや通信も、もっともっと心地よいものに出来るんじゃないのかと。
そんなことを考えておるわけですね。
今日は、そんなところで。ありがとうございました。