0461話:2018年06月10日

◇神の知を見極める

我々がやるのは、神の知を見極めるという審神者するということが基本になるんですね。それは、昔は神の話、神話ということ、まず見極めることになるわけですね。その神話を、現代の我々が生きる上での智恵に出来るかどうかという、その辺りが神話知ということであるし、神を単なる、知るという神智学ではなく、神と掴むという神智覚学という表現を使っているわけですね。
”神をこの手で掴む”とか、”神を食べちゃう”とか、そういう大胆なことを、我々の先生は、みんな仰っていたんですけれども・・・。要するに、我々は、神という概念とか、神を知ろうということがまずあって、神の働きが、どういうものかということを、今度は具体的に知るだけではなくて、その働きを受けると言うか、それを受けてその働きを再現すると言うか、共にある神人一如というか、そういう神の知覚に至るというか。要するに、五感、六感で神を掴むという体感が出来ないと証明しないと意味がないということを言っているわけであります。

◇神という概念を装置化して、体感して証明する

そういうことは、やはり現代の社会でいくと、物質とか物質の働きも神であると、あるいは機械や装置の働きも神であると。それを我々は、概念装置という言い方をして、そういうものを作らせていいただいて、そしてその上でもって、体感するというか、実証実験していくということでないと、意味がないということになろうかと思うんですね。そういうことを、今、我々はさせていただいていると。本当に、烏滸がましいけれども、そういう世界を技術として落とし込むと。それが機械であり、装置だということになるわけですね。
それは、証明可能でないといけないということで、神という概念を装置化して、体感して証明するという、大胆な時代のシステムというか、あるいは方法論になっていると思うんですね。それを今の時代の中で、しっかりと掴むということが神を証明するということで、それを言語でも自覚するということは、神も言語であるということと、それを繋ぐ言霊、そして、言魂、そして、自然言語、そしてそれを使った科学用語というもの、あるいは自分たちの寒暑苦楽の体感の言葉までも含めて言葉です、ということをいっているわけですね。

◇永い年月を経た今、日本の文化を世に問う

ですから、色々な形で、これから我々がやろうとしていることは、時代の一種の統合知だと思うんですね。統合の技術、そして統合したことで、どういう体感を得られるかということ、それが一つの芸術で言えば、光と風のクリエイションだということですね。まず、色と音と、そういう音楽や芸術というものを通じて、神の世界を感じると。
明治以降に世界から学んだ150年の結果、今、我々が芸術や、井坂先生がやっておられるような美術の世界や、そして信原さんがやっているような音楽の世界の表現が、それが西洋から日本に来て、日本からそれを世界にお返しして、「こんなのどうですか」ということを問うてみる、ということをしようとしているということですね、一方ではね。
非常に野心的なことであるけれども、実はそういう文化というものは、1万6000年という永い年月を経て、それぞれの時代の中で、縄文文化、そして弥生文化、そして飛鳥文化、あるいは天平文化、それから様々な文化が江戸の文化もあり、そして西洋の全てを学んだ上でお出しする日本の文化ですね。
それは、きっと日本が、ちょうど全ての学びの博物館のように、知識と手法と技法と、そして製作物としての物を出すことをしよう、この文化関連の法案が、ようやく日本の国会を通るという連絡もありましたけれども。ようやく文化というものを、世界に問うような法律も出来るということが、いよいよ、来年辺りから始まるんじゃないかと。
ちょうど、スポーツというものも科学はしておりますけれども、そういう中で、東京五輪もありますが。一番良い例で言えば、身体の使い方も甲野陽紀さんが、我々と30回も、祝殿で、一緒に研究してくださっていて、そういうものが、また本になったりすると。ユニークで、しかも斬新で、新しくて、世界にまだ知られていないものを事業として出していくにしろ、学問にしろ、文化にしろ、沢山あるということなんですね。
それを、もう一度、我々が世界に問うてみるということが、これからの中でいよいよ始まるんだということになるわけです。

◇古神道は通奏低音のようにある

その辺を共に出来るということ、我々は、少なくとも、それを1万6000年の間ずっと、通奏低音のように文化ベースとしてあるものが古神道であるということですね。
その上に、全ての世界の今まで出てきた、人類の為に、役立つ文化というものが、その上に載っている皿というか、和の器として、それを文字として、映像として、あるいは、バーチャル・リアリティとして、あるいは我々の所作として、その一つの作法として、それをお見せして、そしてそれを世界の為に役立てていただけるようなものまで、高度化するということがあるんじゃないのかと。
今の科学技術というものを、私は本当に、日本人は丁寧にやったと思うんですね。後は、日本文化を、理解出来る技術として、それを今までは、アート(芸術)とクラフト(工芸)というものを分けていましたけれども。
先程の大倭日高見の国、あるいは豊葦原の水穂の国という、一つに統合してありますけれども、これを芸術、工芸と言うか、この二つを、もう一度、分けて、そして知って、それの文化というものの、最初の導入として、そういう世界から始まって、文字による文化、そして映像による文化というふうに、それをお出しして問うてみると。

◇お祓い、作法を通じて一つになるということ

より良い社会に、人類が楽しく、共に生き合う世界というものを目指していくということが可能になっていけば、この日本の役割が、1万6000年という文化を伝えてくれた、我々の先祖の方々が、これからの子孫のところに働いていただくのではないかと。それが遠津御祖神であり、DNAの精神遺伝子であり、体遺伝子に働いていただくと。
そして、今の自然や天体というものの中で起こっている様々なことや、もちろん、人間はたった一人の存在、神の独り子であるという存在でもあるけれども、皆と共にそれを感じ合えるような世界にいった時に、神というものの存在を、しっかりと掴むことが出来る道が開けるのではないかと。
それを今、お祓いを通じて、あるいは作法を通じて一つになるということを、やらせていただいているということは、非常に日本民族が恵まれた存在としてあるんじゃあないのかと。それは自分達だけのものにしないで、「他では分からないだろう」ということではなくて、それをようやく表しお出しする時が来たんだと。
そこで注意することは、我々が概念を観念に落し込まないように実態にしていくというか。実証実験をして、そしてそれを問うていくということをやらせていただくということがありますので、非常に、ミッションは重いと思いますけれども、どうか、この辺りを、共にやっていただきたいと思っております。
今月もまた宜しくお願いいたします。