0462話:2018年06月11日

おはようございます。
昨日は、6月の月次祭があったので参加された方もいらっしゃるんですけれども、直会の後、テーマになっていたのが、ということでした。昔、”SPEED”っていうグループも、ありましたけれども(笑)。大野さんが、スピードについては、ザ・ワープをテーマとしてセミナーをされていました。
三次元、四次元の時間を超えていくところが五次元ですよという講座を長らくされていたわけでありますが。昨日、何か話そうかと思ったけど、私はスピード違反ばっかりしていたから、ちょっとね(笑)。M名さんがその話ばっかりされていたから、まずいなと思って・・・。昨日、たまたま、直会の時に、麻生さん(元レーサーの方)がいらっしゃったんで、競争するわけにもいかないけれども(笑)

◇時間を支配したものが制する

若い頃には、◯◯トンネルで、だいたい、200キロくらいのスピードを出すと、英霊の声が聞こえてくるから。これは、今、考えると馬鹿なことで、靖国神社に行く時に、零戦が、神社に吸い込まれていく様子と音に出会ってしまって、それ以来200キロくらいの速度の車に乗ると、軍歌が聞こえて来て、そういう境地に入っちゃうんですね。もちろん、それは、すぐに、治しましたけれどもね。こんな話は、あんまり話しても、しょうがないことですけれどもね。
要するに、スピードというか、結局、支配というのは、スピードを制するかどうかですよね。距離とか空間もありますが、スピードを支配するというか。今の米朝会談もそうですね。スピードの問題だと思うんですね。
スピードというのは、何も、早く解決するということではなくて、今回も、朝鮮戦争の終結自体は、戦争は終わっているけれども、国際法としては、ちゃんと処理が、終わっていないということですね。もちろん、周りの環境にもあると思うんですけれどもね。
今から、六十五年くらい前の話を、「今、出来ました」ということを、これからやるんでしょうけれどもね。そういう過去の時間をつかうというかね。結局、いわゆる核兵器を処理する時間を延ばすわけですね。その間に、また、変えても良いという理由を作ろうということもしようとする。
そういう一種のスピードというか、時間を支配したものが、いわゆる、情報戦争にも、あるいは、戦争にも勝ってしまうと。そういうことが、あるんじゃないかと思うんですね。特に、ビジネスというものは、金利もそうですが、時間に対してお金が増えるということですから。その時間というものを、お金を持っている人たちの都合のいい時間に割り振りして、それを使ってお金を増やす、あるいは、商売をすると。
ですから、社会貢献できる様な良いものや、良い発明や発見があっても、支配者にとっての時間が、自分たちの時間にとって合わなければ、特許とか、そういうものを認めないとか、そういう事業を始めないということで延ばすわけですね。そういう方法が、一種の三次元、四次元というものを使うということで、支配というものが成り立ってきたと。そして、今も、そうであると。だから、時間を縮めれば、株式の相場ではないですが、取引が、一秒間に、百万回も行っているようなところに、個人が手で押したって勝ちようがないわけですね。まあ、小金は稼げるかもしれないけれども。そういう時間を、どれだけ自分たちの自由にできるかということが、一つの資本主義の方程式みたいなものというんですかね。
そういうことで、二千二百年位前に書かれた、ユダヤ教の経典で、”伝道の書”という旧約聖書の一つの経典がありますよね。その中には、「全てに時があるんだ」と。
季節という時から、極端に言うと、「殺すに時があり」とも書いてありますね。”伝道の書”の第三章に書かれているので読まれるとわかりますけど。
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伝道の書
第三章一説~八説
天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。
生るるに時があり、死ぬるに時があり、植えるに時があり、植えたものを抜くに時があり、殺すに時があり、いやすに時があり、こわすに時があり、建てるに時があり、泣くに時があり、笑うに時があり、悲しむに時があり、踊るに時があり、石を投げるに時があり、石を集めるに時があり、抱くに時があり、抱くことをやめるに時があり、捜すに時があり、失うに時があり、保つに時があり、捨てるに時があり、裂くに時があり、縫うに時があり、黙るに時があり、語るに時があり、愛するに時があり、憎むに時があり、戦うに時があり、和らぐに時がある。
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そういう全てには、時があるんだと。それも、一つの使い方としては、資本主義的に使うと、それを正確に言い当てているのかもしれないんですね。

◇光より速いという概念を思考の中に入れていく

時というもので、神道でいうと、それは、時置師神ということで、単純に、退けて、時間も空間も、神の働きだということですから。その神の働きを掴めば、自由になれるということを、神道ではいうわけですが。
今、我々が、物づくりや、そういう資本主義を超えて、ということを、大胆にも言っていますが・・・。そのためには、時空間というものを、どう捉えるかというところになるわけですね。
今の科学というものは、アインシュタインの呪縛がありますから、当然、「光よりも速いものは無い」という相対性理論の根拠の中での七十年ということでございますから。光というものを超えた時間というものは無いということになると、この見えている世界というものは、その結果、黒いもの、宇宙というもの、光の中で光を閉じ込めるダークマターとか、ダークエネルギーというもので、捉えるという捉え方も出てくるわけですが。光の対立概念でない捉え方も、今はでているわけです。そうやって、光というものを越えようとしているんだと思うんですね、人類が。
光より速いということでいうと、それに基づいて、宇宙の電磁波、周波数も出来ているということになると、その仕組みを打ち破れないと、もう限界というか、四次元を超えられないということになるんですね。それで、この四次元を超えるということで、ザ・ワープという講座も、去年まで、やっていたわけです。
ということは、我々は、まず、光よりも速いという概念を、少なくとも装置化したり、その概念を、当たり前だと思えるような境地といいますか、まだ恣意的なところもございますけれども、そういうところを掴んでいくということをしないと、やはり、今の三次元四次元というものの、次元境界面を突破できない、そこを超えられないということは、アインシュタインに縛られているだけではなくて、自分自身を、それで縛っていくということになっていくわけですね。

◇タキオン、重力子の研究

とりあえず、光より速いという概念を、まずは、自分の思考の中に入れて行くと。そして、タキオンとか、あるいは、重力子とか、今、ちょうど、重力子の研究も始まっていますが。そういうものが、三次元、四次元を超えて、五次元に入れるということを、リサ・ランドールさんも言っておりますけども。
そういう重力が、あるいは、概念としてのタキオンとか、光よりも速い速度で動く粒子という捉え方をするということが、必要になってくるということですね。ですから、我々も、当然、重力子(グラビトン)や、タキオンを前提とした概念的な捉え方、その概念を考えてみる。あるいは、それを元にして装置化するというのを、これはちょっと子供じみているところもありますけれども、そういうところから、超える一歩というんですかね。そういうものがあるんだと。
この間も、金井宣茂(かないのりしげ)さんという宇宙飛行士の方が、半年間の宇宙飛行から帰って来られたんですが、本当に、動けないんですね。地球の重力に戻ったら、動けない状態で、そういう人間の生命活動を危うくするようなことにもなりかねないと。
逆に、重力というものがなければ、あらゆる物質の変容の仕方があるのではないかということで、様々な実験をされたということを聞いております。もちろん、良いところもあれば、悪いところもあるんですが。

◇という概念

少なくとも、我々が、スピード、あるいは、時というには、ミハエル・エンデの”モモ”という童話の著作の中に、という概念が出てきますが。ひとつの地域通貨を提唱した人が、ミハエル・エンデですよね。その方が書いたものが、時間泥棒という概念ですね。
まさに、時間泥棒や、あるいは、支配という一番、人間にとっての尊厳を損なうようなものから、自らも解放されると同時に、そういう社会的なものからも解放されなければ、我々は、この今の時代に生きるということの甲斐がないというか。それくらいの意識を持って、捉えるということが、大事なことというか。
今、我々が、ビジネスに関わる時には、まさに、資本主義という三次元、四次元の世界の中で、全うな方法論というのは、資本主義というものがあって、それが、まさに、支配というもの、あるいは、お金というもの、あるいは、時間というものを、自由にするものが支配をする、あるいは、この社会を牛耳るということになってくるということですね。
ですから、ちょうど人類が、そういう意識から解放されようとしている時に、今、我々は、この地上に生きているというわけです。

◇輪廻転生も人を縛る方法に過ぎない

そういう中で、今回も、”リインカネーションライフチェンジ”ということで、大野さんを中心として、やっていただいて、今度、最後になる6回目になるわけです。リインカネーションも、宗教というものが、人を縛るという方法に過ぎないわけですよね。八十一回生まれ変わらないといけないという時間の設定の方法を考えたんですね。ですから、大概の人は、自分が生まれて八十一回目か、どうかなんて分からないわけですが、生まれたことを理由にして、支配をしようとすると。それが、良いか、悪いかは、インドでは、論争が起こったわけですね。
輪廻転生(りんねてんせい)も言ってみれば、同じようなもので、過去世、未来世、現世という三世を使って、そういう時間を使って、人を支配するという宗教的な作法というか、それに嵌らないようにということで、我々は、そういう学びを、ライフチェンジのリベラルアーツ、あるいは、その先のお清め三科ということでもって、世界を表現しようとしたんですね。ですから、白川というのは、そういう意味の全ての宗教や、修行法の最後の修行法と言われているわけです。

◇最後の修行をしましょう

ということは、リインカネーションということから考えますと、八十一回目の修行にあたる最後に出会った修行法が、白川の鎮魂と言霊と大祓ということになるということで、「最後の修行をしましょうか」ということを表現したんですね。
これは、今まで、124代という神武天皇からの長い歴史の中で、天皇にお教えする修行というものが、この白川の行であったわけですね。鎮魂であり、大祓であると、大祓を上げる方の役割というかですね。そういうものを、我々は、身に受けて、この道をやろうということであるんですね。ですから、帝王学のようなものであるんですが、それは、帝王が、帝王学に縛られることはないんですね。

◇天皇陛下は柏手を打たない

はっきり言って、天皇には、柏手作法は無いんですね。私が、やっているものでは、六十幾つか打つものが、一番多くて、天皇陛下は柏手打ちません。
せいぜい、日高見の元にあったかもしれない、大倭日高見の国で、大倭になる前は、日高見の国と言っていたんですね。その日高見の国は、いってみれば、鹿島神宮ですね。鹿島神宮も、後で出来て、元の神様も、そこにいらっしゃるんですけどね。大倭日高見の国にしたのは、日高見の国なんですね。
その日高見の神々が、いらっしゃるところというのが、天皇に、第一代天皇にされた元の国の神という意味ですよね。その神に礼拝する時だけは、天皇陛下、皇后両陛下は、実は、音を立てない、その忍び手のような柏手が残っているんですね。天皇家の作法を、勝手なことをあまり言ってはいけませんが。
要するに、そのくらいの話であって、宮中三殿でお参りする時も、柏手はないんですね。
「とほかみえみため」の最後の言葉としてはあります。ですから、とほかみえみためは、天皇、あるいは、我々も、全て平等に表現できる言葉であると言えると思います。

◇神人一如、縛られない世界

要するに、帝王学というものは、縛られないためのもので、帝王でいるということが、縛られるということであれば、それは、如何ともしょうがないことになりますから、それは、言わないんですけれども・・・。
要は、神を迎えて、神人一如という世界は、これは、縛られない世界ですね。神と一つになる必要がなくて、神を迎える主体が、私であって、みなさんであって、神が人の周りを漂うことということを、一如という形とするという境地や世界があるわけです。その時には、両者が自由なんだと。
しかし、その中でも、時空間の中で、我々が生きているわけですから、自分の時を、そこに置くことはかまわないけれども、人類の意識進化という共通項を持つ場合には、一つひとつの速さというものが、おのずから、そのスピードというものが、この時に、我々は、どういうふうに、時間というものを使うか、その責任と自由性というものがあります。自分自身の中にあるということであって、何をしても、もちろん、自由なんですけれども。

◇一番大切なことを共有する、際立った時間がある

「最終的に、よかった」と、伝道の書も、最終的には、和楽のことが書いてあるんですね。「楽しければいいよね、生きるということが」ということが、違う章には書いてあります。本当のところは、やはり、神と共に、あるいは、人と共に、喜びと共に、楽しみも共にするということが、たぶん、時間を超えるということに繋がると。
それが、コミュニケーションの醍醐味なのではないかと思うわけですね。ですから、我々も、この仲間として、やっていただいている、それぞれの境地もありましょうけれどもね。
この時間を、私がいつも言うのは、「人生の中で、今という時間が、自分達の生きているということの中で、一番大事な瞬間だ」と思うわけですね。意識した、していないに関わらず、ですね。
その時の時間というものを、最大限に際立たせるというか、自分のために、あるいは、社会のために、役立たせるというところに、その時間があると思うんですね。ですから、当然、みんなと共に、それをすることは、その時間の中に、一番楽しいこと、そして、大切なことがある中で、みんなと時を共有することになるんです。それが、一番大事なことで、そのことを喜び合うと。
たぶん、DNAの中にも、そういう遺伝子が組み込まれていると思います。みんなと共にという中で、楽しめるような遺伝子を発現させて、そして、その集団が、よりお役に立つことができれば、それが、さらに喜びになると。
そんなことを、今日は感じて、みなさんと共に、この場を共有して、また、未来も、事業の計画も、一つずつ実現していくと。それは、非常に、楽しいことになるんではないかと思います。そんなことがありまして、今日は、お話させていただきました。
今日は、宜しくお願いいたします。