0465話:2018年06月12日

七沢代表によるスタッフ向け七種神拝作法伝授でのお話

◇神様は偏在する

今の神道には、全く、このような柏手はないんですね。もちろん、他の柏手も、体系づけてあるのは、白川だけなんですが。これも、120年~130年くらい前に、今の神道の柏手というのは、決められたものなので、凄く新しいんです。たいがい、二つしか打たないんですね、省略形で。
旅館の中居さんに、「お願いします~」と手を叩く様な感じも、無きにしもあらずで(笑)
白川では、同じ位置で二回打つ時は、神様にお還りいただくような柏手で、だいたい、神様の憑代(よりしろ)というのは、榊とか御幣に、お出ましいただくというか、そういう考えなんですね。もちろん、偏在する存在というか、神様は、呼べばと言ったら失礼ですが、すぐに、来ていただけるので、神様は、どこにもいるし、どこにもいないという非局在的存在というか。
一神教の神様なんかは、この世をお創りなって、後は少しお休みになっているかもしれませんけれども(笑)

◇作法で、神人一如の本質に迫ろうをしている

我々白川は、特に、榊は神の木だとして、そこに神様を迎えてすることが常となっているわけですね。ですから、榊の格好をするわけです。柏手を打って、こうする(榊の格好をする)わけです。榊の格好をして、そこに、神の木だから、自分で、形を作ると。
こう、2柏手打って、上と下とで、位置決めして、全体を、こういうふうにしているんじゃないかなと思うんですね。だから、空中に神を迎えるんですね。
自分が、神を迎えるということは、神人一如ということで、神と一体になるんじゃないんですね。自分に、榊の存在から、榊の形を手で作って、自分がそこに、共にいますというか、「どうぞ、ここにいらっしゃってください」というか。
神人一如ということを、こういう作法で本質に迫ることをしているんですね。神は様々な場所、場面、また自然の神様は自然の中にというか、その働きは、どこにでも起こっていますよね。

◇神の働きと、絶えず一緒に生きている

木火土金水は、地球上の、全てにわたって起こっているわけですから、宇宙でも起こりますけれども、そういう中でも、お迎えするということをしているということなんですね。ですから、合理性がある方法なんだと、私は思っているんですけどね。こう二つ打って、元つ御座にお戻りになる時、離れる時を、昇神と言いますね。昇る神様で、一緒にいていただくためには、降神ですね、降りる神様ですね。
我々は、四六時中、一番必要な神の働きと、実は、絶えず一緒になって、生きている存在だとも言えると思うんです。神という存在の働きを、メッシュを細かく捉えると、その神の働きが、人間が生きる上で、絶えず、そのより良い働きを受けられていると。
逆に、病というような働きもあるから、それを、荒神様といって、お祀りして、「ちょっと退いていてくださいね」ということをいうわけですね。我々はそういう神を、良い悪いではなくて、人が生きている、あるいは、宇宙があるということの中でも、あるいは、創造ということが行われるということの元からの意味として、神という存在を働きとして見ていると。それを、必要とする瞬間に、そのお働きをいただくとありがたいわけです。
まあ、祓いもそうですよね。火打作法をする時も、「火霊神(ほひのかみ)、火明玉神(ほのあかるたまのかみ)、火結神(ほむすびのかみ)」あるいは、「底筒男命、中筒男命、上筒男命」という働きを受けるという形を取るんですね。これは、ある面では、イスラム教でもこうやって、「アラー、ハクバ、ビスミラヒーム、ラフマーン」という祈りをするんですが、その時に、神を迎える格好をしますよね。仏教でも、貴人拝作法という、手のひらがつかないように拝するんですね。神道なんかも、そうする派もありますね、我々はいつも綺麗なところで拝しますからということで、手のひらをつきますが。作法というのは、特に、白川では、有織という公家の作法になります。

◇白川の神拝作法は十種から一種まで

神に拝する、迎える、あるいは、お送りする作法の伝統が、白川の神拝作法ということで、それが、十種神拝作法から一種神拝作法まであると。それを、天皇は、三種神拝作法、二種神拝作法、一種神拝作法というところを、帝王学として、最後に学ぶと。
我々は、みんな十種神拝作法から三種神拝作法まで、ということになっているんですね。そして、二種と一種というのは、無いんですね、柏手が。だから、天皇陛下の作法では、柏手は打たないんですね。鹿島神宮にお参りする時だけは、忍び手というか。鹿島の神は、大倭日高見の国の元を作った、日高見の国の神ということですからね、元の宮になるから。それを、司っていたのが、大中臣、中臣、藤原ということで、それは、鹿島大社に、同じものが、西の春日大社の方でもやっているわけですね。
後に、忍び手というのは、死者に対する礼の時に、打つような方法ですけれどもね。音を立てないと忍び手ということで、柏手をしないということに繋がっているのかもしれませんけれどもね。

◇七種神拝作法が入門

そんなことがありまして、作法としては、七種神拝作法というのは、天津神、国津神という時も、天地の神に打つんですが。お迎えする時も、こういう柏手を打ちます。
十種の神拝作法というのは、人間というのが、生まれた時に、息をもらう、吐(つ)く息と引く息といいますが、それをいただく時には、十種といって、そのときは御幣が立つと言って、母親の方でも見える方がよくいます。
九種神拝作法が、こういうふうに、柏手を打って、八種神拝作法が、こういうふうに柏手を打って、だから、今の神社の百五十年くらいの歴史だと、こういう昇神の柏手しかないんですね。だから、最初の挨拶が「神様、どうかお昇りください」という(笑)、おかしなことになっているんです。
白川は、七種神拝作法が、入門だから、その前のことはほとんど言わないんですね。私も、先生に七種神拝作法ということで、入門したら、「先生、八種神拝作法と九種神拝作法は、どうやってやるんですか」と聞いても、特に教えて下さることはなかったですね。ただ、これを、神社に行ってやったら、奇異な目で見られることになりますよ。

◇白川流と吉田流

ここに、小笠原先生と言霊神社を建てた時に、物凄く喜んで手紙をくださった、近江八幡の横井宮司さんという方がいらっしゃったんですね。その方は、私の先生の先生である、中村新子先生から学んで、これを近江の神社で七種をやり始めたんですね。そしたら、神社界で、総スカンを食らってしまったことがありました。
だから、四十年以上前に、そういう話があったわけですね、もちろん、神社神道も、白川流と吉田流があって、吉田流が、ある面では、非常に、時流に迎合する方向で、吉田が強かったからね。
白川は、天皇の皇室祭祀だけに、特化していったというところがあって、江戸時代に、白川も、民衆に教えようとしたけれども、後の祭りで、ほとんど吉田神道一色になってしまって、白川は天皇、あるいは、周りの公家さんだけに教えるということになっちゃったんですね。もちろん、明治の時には、吉田神道も、白川も、宮中三殿とか、宮中に作った神殿に祭祀が統合されたんですね。
その中で打ち捨てられていた祝殿を6年前に再現したんです。白川がやっていた祭祀は他にもありまして、もう一度、再現して、8月11日の年祭には用意して、いままでの祭祀というか、その祭祀ができるような設えにしようと思って用意が始まっていますけれどもね。

◇それぞれの神にどんな周波数があるか測ってみた

さて、基本的には、天津神、国津神、遠津御祖神、産霊幸倍神という四つの神を、これは固有名詞というよりも、天津神、国津神というのは、普通名詞に属するもので、天津神の中には、百神がいたり、或いは、国津神は、さらに何百神もいらっしゃるわけですから。
それを、まとめて、祝殿でも、一宮の七十八社をまとめて、祀っていて、神様の数だと、合計で、二百神以上祀られています。一宮の神をお呼びする枕詞に、全ての国の始めの神々と、斉藤さんが、いつも祝詞の中で読まれる時にありますように、固有名詞ではなく、普通名詞として、全ての国、六十六の国の一宮に祀られている神様全体として言うわけですね。一神、一神は、普通だと固有名詞になると思うんですね、文法的にはね。余計なことを言いました。
そういうものを、全部、どんな周波数があるかということを測ってみたんですね。そうしてみたら、やっぱり、違うんですね。天津神と国津神で、全然、違うんです。重さというか、神様に重力があるか知りませんけれども(笑)。波動係数が、全然、違うということを確認しております。以前に言ったように、雷の神様を、用もないのに呼ぶと、本当に、雷が鳴り出しますから、危ないですから、やめられた方が良いです(笑)

◇降雨と止雨は、天皇の大事なお仕事

だから、昔は、白川は、降雨と止雨も大切な仕事だったから、雷が必要だったらお呼びする。斉明天皇(さいめいてんのう)、皇極天皇(こうぎょくてんのう)、同じ天皇ですが、雨を降らしたり、雨を止めたりした記述がありますが、もし、梅雨時期なのに渇水で、雨が降らない時には、降雨にしないといけない時に、その時に、雨をいただくということですね。降雨、止雨というのは、天皇の大事なお仕事だったんですね。ですから、そういう神の働きを呼び寄せる能力がないと、天皇も、試験があるんですよ。
だんだんと世襲制になっていくから、当たり前になるけど、欠史七代とか、昔は、世界中といったら、おかしいけれども、世界の一番優秀な王の子供たちを連れてくるんですね。その方々を、綺麗に、祓いをして、宮中に向かい入れるということを、実は、していたんですね。あんまり、そんなことは、言えないじゃないですか(笑)ただ、本当は、そういうことを、ごく普通にしていたんですね。だから、その時も、試験があるんですね。要するに、降雨と止雨の神の働きを、迎えるということなんです。

◇七種は遠津御祖神を中心に迎える

この天津神、国津神が、一遍には、迎えられないですよ。産霊幸倍神は、人間が生まれた時の働きですから、そんなものは、既に、その働きが起こってしまっているわけです。ただ、その後、長く、寿命、天命を全うできるようにということの意味を込めたものが、産霊幸倍神です。生まれたから、この先も、しっかりと育ってくださいねという意味があって、天津神、国津神、遠津御祖神、産霊幸倍神というんです。
この七種の一番基本的な神様は、何の神様を中心に迎えるかというと、遠津御祖神ですね。天津神、国津神は、暫定許可ですよね(笑)遠津御祖神は、そのままです、みんなが、生きた遠津御祖神様だから。○○家、皆々様の家が、そうですね、それで、打つ柏手が、中心の柏手ということです。遠津御祖神の柏手が、七種の柏手と言ってもいいくらいです。だから、出来る、出来ないは関係ないんです。入門なんです。
白川では、天津神、国津神、遠津御祖神で、みんな全員が、そうだから。遠津御祖神というのを、判るように言うと、まず遠いという意味で、だいたい、五代くらいは、名前があるから、その家の先祖の人達は、いってみれば、遠津御祖神の候補みたいなものですよ。

◇最新のDNA研究と遠津御祖神

遠いというのは、生命体としては、最近のDNAの研究結果によると、二十万年くらいは、みんな同じ生命体のDNAではないかといわれているんです。二十万年くらい、もちろん、一般的には、七百万年くらい前に、チンパンジーから分かれたんじゃないのかという説でありますが。
もっと、人類としてのクロマニョン人となると、何万年とか、ネアンデルタール人と分かれる頃のことですね。我々は、51%くらい、日本人が一番多いらしいんですが、ネアンデルタール人のDNAだという絶滅した人類に近いものの遺伝子を受けていると、それの方が多いと言われているわけですね。
基本的な生命体としては、少なくとも、我々が、遠津御祖神といった場合には、七万年とか、二十万年とかいうことでも良いと思うんですが。そういう遥か、遠いという意味で、遠津御祖神と。だから、今のDNAの概念と、日本の遠津御祖神の概念が近いと。殆ど、同じだから、何の抵抗もなく、神というものを、我々は、受け入れやすいものを、残してくれたというふうにいっても良いと思うんですね。
先祖崇拝というか、これも、日本人が一番当たり前に、身に受けているから、それも、非常に良かったことじゃないかなと思うんです。そういうことから、遠津御祖神を迎えられると。

◇自分も生きた遠津御祖神

もちろん、我々は、生きてもいるから、すでに亡くなった遠津御祖神を迎えるということもあるけれども、生きているから、その自分に柏手を打っているとも言える。この後手で打つということは、自分に打っているとも言える。他の人に、打ってもらうのと同じ様に、自分に打つということは、自分が生きた遠津御祖神でもあると。
それが、五代くらいの中で、自分を入れて、33人ですね。とりあえず、そのくらいの数の先祖で構成されている。まあ、過去、先祖が何十代も判明している人もいますけれどもね。
分かっているところから、例えば、七沢家なんて、二十二代くらいなんですね、清仁くんなんかは、あれが本家ですから。私は分家ですから、一代ですよね。彼は、二十二代で、七沢朝昌という戦国時代の大名から、全部過去帳に残っているんですね。一代一代が、しっかりとあるというか。そういうもので出来ているんですけれども、それを、「七沢家遠津御祖神」というふうに言って祀っていると。でも、皆さんも、どっかで、天皇に繋がっているというか。日本人というか、日本列島に来て、どっかで繋がっているわけです。

◇天皇家はユーラシアから来た人達

これは、天皇家でもそうですから。ユーラシアに住んでいた人達を連れてきて、天皇の王子の候補にして、それを教育したわけです。これは、飛鳥時代から、そうですから。そういうことで、みんな来た人達で、そういう来てくれる人達を、大事にしたのが、日本の文化ですね。
この間のアルメニア大使の会に行って、あらぬことを言って、ひんしゅくを買ってしまったんですが。アルメニアの人は、ユダヤ人よりも頭が良いから、アルメニアの人を沢山、世界中から呼んだら、これからの日本の発展のためには良いのではないかという、とんでもない事を言ってしまって・・・。ひんしゅくを買いました(笑)ノアの方舟も降りた時の子孫たちが、結構いるんですよね、あの辺りに・・・。そんな余計なことを。要するに、人類の統合というか、これからの統合世界の中では、それもありかなと。
ただ、動物は、今日の話ではダメですよね。はっきりと分けたほうが良いですね。一緒にすると、とんでもない事になるんです。そのことは、また後で話すとして。
天津神、国津神、遠津御祖神、産霊幸倍神ということで、神様と作法が一緒にあって、いけるので、入門ですので、これをやっていただきたいと。でも、他の神社でやると、白い目で見られると(笑)何せ、この白川神道というのは、古神道として一番古いにも、関わらず、一番中心に、九百年くらい天皇の祭祀として神拝作法であったわけですから。有職(ゆうそく)といいますね、故実(こじつ)というのは、武家の作法で、公家の作法を有職と言いますが。
また、六種神拝作法になると、荒魂、和魂、幸魂、奇魂、精魂と。そういう精魂がまた詳しくいうと、他の神道には、無いわけですね。白川だけです。それは、何故無いかというと、天皇、天皇家だけが、統合する役、仕事だったから、精魂というのが必要だったと。だから、もう差別化してるわけですよ。

◇十種神宝の死返玉

これから、人類が、本当に、最終的なところに来た時に、生き残る方法は、核戦争もありますけれども、ポールシフトというのが起こった時、今まで、十四回くらい起こっているんですが。もし、それが、もうじきか、あるいは、何万年後か知らないけれども、それが起こった時に、人間が、一旦、仮死状態になるんですね。仮死状態になった時には、魂が身体に戻れないと、それで、アウトになるんです。ですから、人類が、そこで終わるか、終わらないかというのは、これは、空想として聞いてくださいね(笑)
戻れる技法を、持っているのが、白川家で十種の神宝といって、天皇家に、お伝えする仕事があったんですね。それを、十種神宝(とくさのかんだから)の死返玉(まかるかへしのたま)と。真言宗にも、一部、似たようなものが、伝わっていますが、本当のところは判っていないと思います。
これは、ピラミッドなんかにも、同じものが残っているんですが、一つの作法といったらいいですかね。要するに、人が精魂を含む五魂を取り戻さないと、人間に戻れないことになると。四魂だけを迎えた時には、動物の状態になってしまうんですね。だから、また、原始時代が長く続くようなことになると。精魂が、還ってくると、そのまま、人間を続けられ、繋げられると。そういうことが、実は、あるわけです、白川には。それを、死返玉(まかるかへしのたま)と。
私も、親父が亡くなった時に、実家にいって、お風呂から引き上げたんですが、その時に、死返(まかるかへ)しの技をやろうかと思ったら(笑)、難しい条件があって、井戸に向かってやる儀式があるんですが、近くに井戸がなかったので、できなかったけど。今は、井戸を二つも作ったので(笑)
そういう死返玉、つまり死人を生き返らせるという、要するに、仮死状態になった時に、生かす作法まで、白川には伝わっているわけです。

◇DNAの本当のところを東晃史先生と共に

特に、七種は、基本的には、遠津御祖神をお迎えする柏手ですということで、初めていかれたら、いいんじゃないのかなと。今、科学が、DNAということを、ようやく、体遺伝子と精神遺伝子ということの両方があるということを認めざるを得なくなって、殆どが、明確になりつつあります。これは、科学だから、これを決して、変えることは出来ないと。もう後戻りはできない。だから、それに合わないような宗教や哲学は、全部消えていきます。これは、しょうがない。だから、その辺から、我々が、精神遺伝子というものも、色々とあるはずですね。
この体遺伝子として現れているのは、3%とか、4%とかのレベルで、あとは、ジャンクDNAだと言われていますが。そうではなくて、それが、全て、精神遺伝子を形作る遺伝子なんだろうということも、解明されていくと思うんですね。
DNAというものの一番ポイントになる所を、東晃史先生に、智樹くんに会いに行ってもらいました。私は、二十五年くらい前に、この先生を発見したんですけれどね。この人、凄い人なんです。戦前と戦後で、東先生というのがいて、戦前の東先生というのは、全然、違う人なんですが、化学と物理学を統合した人で、戦後の東晃史先生は、生理学と物理学と医学を統合しようとした人で、この人のことを、まだ、誰も分かっていないということで、いよいよ、出しますけれどもね。これは、DNAの本当のところを、生理学研究所ですね、岡崎にある自然科学研究機構(NINS)におられました。東大から生理学研究所に行って、先生の研究は、素晴らしいものでして、全部、残そうということで、先生の最新のものも論文にしていただきたいということで、今、関わっております。これは、DNAのことなんです。これは、非常に、大事なことですが、中山先生なんかよりも、遥かに優れた先生がいらっしゃるので、これから先、更に、明確に、していこうということでもやります。まあ、本にもしますけれどもね。だから、それも、DNAだと。DNAが、精神遺伝子の部分も、これから、大量に発見されていくんですね。

◇良いところは発現して、悪いところは抑制する

各感情にも、DNAがあるくらいの量になると思うんですよ。感情でも、そんなに沢山ないとお思いでしょ。仏教だったら、七、八感情くらいで、我々が、三千二百くらいでまとめました。日本語の感情用語だと、七千くらいあるんですよ。私達は、それを全て、コンピュータマトリックスに入れたもので、だいたい、三千二百くらい作りましたから。そして、きっとそれに対応したDNAがあるということで。
そして、そのうちの良い感情のものは発現させて、悪い感情のものは抑制すれば、精神作用に関わるもの、あるいは、体のDNAも切ったり貼ったりしないで、変われば、いいんじゃないのかなと。それは、まさに、我々の持っている遠津御祖神ということと全くイコールなものを、我々が迎えて、その良いところを発現して、悪いところを抑制するということが、実は、この操作の中にあるということです。
これは、もう科学であるし実際に、3.11の東日本大震災の時に、すぐに、30種の放射能耐性遺伝子に対するDNAの信号を出して、それぞれに発現して欲しい、抑制して欲しいというものを分けて入れて、発信したんですね。
今でも、福島の子どもたちには、1000%くらいの状態でもって、血中に蓄積されているんですね。そういうものも、改良できる方法というのを、ずっとやってきたんですね。
我々は、六年間やってきたので、そのことを、更に、進めるということが、大事なことです。だから、日本が実験場、結局は、実験場でしょ・・・。広島、長崎、福島ってね、三度ですよね。これは、実験場になっているようなものですよね。
その中で、世界に先駆けて、それを解決する道を、こんな形では、本当に、福島の子供たち、あるいは、日本中の子供たちに、申し訳ないけれども。

◇放射能の耐性遺伝子が人間の中に残っているはず

そういう意味のことを、残念ながら、放射能耐性遺伝子を、一気に発現して、これは、人間の中に、全部残っているはずだからこんなことを言うんです。
地球は放射能を浴び続けているわけですね、人間というか生命体は。だから、三十八億年という生命の歴史の中では、ずっと放射能との戦いでもあるんですね。そういう耐性の遺伝子が残っているはずなんで、それをしっかりと出すということが、今の日本の役割でもあるのかなと。これは、殆ど、言えないことです。さっきの政治の問題や、差別の問題にも繋がってくることもあるから、言えないことも多くあるのですけれども、少なくとも、そういう研究も、やっておかないといけないということがあるんですね。
それで、特に、遠津御祖神というか、DNAの研究というは、我々は進んでやっているところですと。それで、そういう発信のコードまで、全部持っているんですね。今、アメリカに、二箇所くらい、全体のDNA情報を持っているセンターがあるんですね。それを使ってやってきたんですよ。もう、長いこと十何年もやってきました。
いよいよ、精神遺伝子の仮説としても、そういうものを立てて、今、幸福遺伝子なんかは、有るわけですよね。これは、もう認められつつあるんです。名前が、ちょっと抽象的だけれども、そういう幸せになったと感じる遺伝子ということですね。そういうものは、みんな感情につながるものがあるんですね。そういうものを明示して、それの遺伝子が発現するようにという構文を出してもらうと。
その中で、特に、遠津御祖神というものを、DNAとして捉えて、まさに、そうですから、それを広めていくと。その働きを、神として、広めようと。機械の神様も、天機置神もありますが、そういうものの一つひとつが、神になると。そういうメッシュの細かさで行く時に、最初に、入門としては、天津神、国津神、遠津御祖神、産霊幸倍神ということを、やりましょうということになります。

◇御手振りという振る作法

何か、何千年も前の古風な手振りを、御手振りというんですよ。手を振るから、昔の人は、御手振り行ともいうわけです、作法は、手の振りだから。印を結ぶのは、これくらいしかないから。これは、真言宗から見ると、何も無いに等しい。だから、真言宗も全部、正月の七日~十四日は、祝殿に、真言宗の五大明王を、全部、招いちゃうと。そういう働きも、我々の働きの一部に、しちゃっていますが。凄く、少ないですよ、印を組むというのは。御手振りというふうに、振る作法ですね。だから、ご修行でも、この一つの印しか無いんですね。この一つの印で、全ての行をするんですね。それも、ありますが、手が動くということで、ずっとここではしないということがあります。そんなことで、やってみますか。

◇母の奇跡的な回復が原風景にある・・・

手というのは、色々と凄いものですよ、掌というのは。私は、整体というのを、三歳の子供の時、母親が、どの大学病院に連れて行っても治らない病状を、一ヶ月位治した人がいたんです。山梨の名人の方が、いらっしゃってですね。山梨は、色々な名人が出るんですが、そういう整体でも、そうですが、私は、それを見ていた原風景が焼き付いちゃってて。
もう、色んな治療法を、フィールドワークして、最後に、東大で、七年間、李為民(リーウエミン)という中国の最高の外科医が、基礎をやりたいということで、その人を援助して、七年近く、一緒に、体性自律神経反射療法という治療法を、要するに、整体、あるいは、鍼治療がどうして効果があるのか、治るのかという研究をしてもらったんですよ、大学院で。
それで、もう全部わかったんです。分かったら、もう興味を失ってしまったんですが(笑)そういう治すっていうのが、非常に、面白いなと思って。そんなことを考えながら、見ていたわけではないですが、子供だったので。ただ、母親が、治してもらって、奇跡的に回復したと。もうダメだと言われたのが、生き返っちゃったと。そういうものが、幼児体験であるから、絶対、鍼灸も、来られている世界でナンバーワンの鍼灸師は、石原克己先生なんです。大巳貴神だったんですね、働きが。石原先生が、最初に、関わった先生が、私が若い時に、鍼を受けた先生で、島田先生という方だったりして。今、石原先生の本の出版が急ピッチで進んでおります。だから、縁は、不思議なものだなと思っているんですね。そういうものを科学できたというのが、何よりの喜びということです。それは、世界に無いんです。李先生が、初めて、日本の鍼灸や整体の学会では、解明してくださったんですね。
この研究所は、ある時期、うちは、整体とか、針とか、鍼灸師とか、そういうものが無いと、来れなかった。七沢研究所では、必須項目で、面接が、それの資格を持っていないと通れなかったんですよ、つい五年くらい前は。だから、本当は、そういうものを持っている名人が、たくさんいます。それは、余計なことで。何でも、言葉でもって治してしまう不貞な輩ですから(笑)やっぱり、そういうものも大事なものであると。

◇全て科学にするということ

科学にするということが、ここの全て、言霊も、マインドフルネスも、デジタルメディテーションだと、デジタルということは、それは科学ということでしょ。
だから、お祓いも科学にしようということで、それが、ロゴストロンに繋がって、どの言語を入れるよりも、大祓を入れたほうが、治療とかの効果があったんです、発信していて。
その辺も、実験したわけです。神拝作法も、必ず、科学できるというのが、ご修行というものに繋がっていくんですね。
それをシステム学習として、誰にでも、効果が得られるということが、今、現代における、一つの人文科学を、純粋に科学するというか。そういうところに、ようやく来て、白川の作法が、役に立つというところに、どこかのところで、皆さんも、実験していただくということで、やっていただいて、全然、構わないというふうに思っております。そんなところで。

◇全てのものは震動している

この人差し指に、神を迎えます。宇宙というのは、螺旋が上だろうが、螺旋が下がっていこうが、左回りか、右回りか、いわゆる、旋回か、旋転か、どっちかしかないと。宇宙というのは、すべて、細かい所は、電子と陽電子から始まって全て、右旋と左旋です。
全ての小さいところから、物質で出来ている我々も、タンパク質などアミノ酸は左回り、糖質は右回りと。全てのものは、回転していると。止まっているものは無いわけです。それを、人間も、止まっていることはないです。死んでも動いていますよね。
分子、原子になって、みんなバラバラになって、風で飛んでいっても、動きながら、巡っているわけです。生きている人も、回るんですよ。究極、神も右旋と左旋です。天津神と国津神も、回り方が違うだけです、その働きはね。
人間が見えないと思っているから、見えないだけであって、見えると見えないの限界というのが、ちょうど、可視光線と不可視光線の違いみたいなものです、あるいは、25Hzより下とかは、聞こえないでしょ。そういうふうになっているだけであって、実際は、全て、そういうものは震動しているわけでしょ。だから、神様にも、振動数が有ると。

◇ちゃんと階段になっている

ただ、天津神は、見えにくい、国津神になって、天津神が感じられると。だから、遠津御祖神の先に、自然の木火土金水、あるいは、風とか、空というものがあるわけです。それを迎えて、その上に、また、国津神を迎えて、国津神を迎えると、天津神を迎えられるから、その時に、体感できるんです。だから、ちゃんと階段になっているんですね。しかも、その神に、回転が違うこともわかるんです。
旧約聖書では、「あめんどうの花の中に、神を見ます」とか、預言者の中に、神を見た人がいるんですよ。あるいは、「竜巻の中に神を見ます」というところに、モーセの時に出て来た神様も神様だけれども、「IAMthatIam.我(神)は有りて有る者である」と文字でも顕現した神様もいますが。
そういう日本神道、特に古神道というのは、そういう神様も、全部、学べるというか、追っていくと、体感できるというところが、ポイントなんですね。それを、是非、やって欲しいと。その時に、全てが、渦になっているから。だから、人間が、渦を、最初にしてくるんです。そして、いわゆる、古事記にあるような神様を、迎えられると。なんせ、我々は、天之御中主神という神様を、最初にして、祀るわけですから。非常に、単純な信仰といったら、神様に怒られるけど(笑)

◇「神を食うてみよ」

ものが、出てきて分けるというか。分かるんだということが、宗教ではないと、信仰しなくていんだということが、凄く、一つひとつを、概念実験どころか、思考実験、意識実験して、あるいは、体感で、この神を掴んでいくということです。だから、「神を食うてみよ」なんてことが言えるんですよ。そんなことは、誰も言えないですよ。どこの聖人も言えていないことを、我々は、普通に、伝わっている。
「神を掴みなさいね」って、神を掴むなんて、それは、色々な神様がいるから。これが、最初の作法で、遠津御祖神から、皆さんの神を掴むことは、始まります。これが、皆さんにお勧めできる理由は、そこでしょ。信仰してやったものは、ちょっと不信心になったら大変なんですよ。それも、伝えることは出来ますが、時間が遥かに掛かる。
まず、仮設を立てて、証明する方法がある。それを証明するのは、数学だって、難しい方程式は、まだ解けないものがあるでしょ。世界に、残っているじゃない。それと同じ様に、数式のように、信仰も解かないといけないんです。
これは、大変です。ただ、黙って、私の言うことを聞いただけで、「はい」と言ったら、嘘ですよ。それは、地獄への一里塚で、必ず、地獄へ行きます。それは、出来ない。わたしが、もし、そういう事を言ったら、「ダメだと」思って、すぐに、どっかに立ち去ってください(笑)この時代に、我々が、科学をいただいて、やっていくことの出来る唯一の道ですから。そこは、間違えないようにされたら良いんじゃないかなと。そんなことを思いました。