0468話:2018年06月15日

おはようございます。
何か、ご質問はありますか?

●Nさん
賢治先生のお話で、右旋、左旋の回転のお話が、よく出てくるんですが。本当は、私が、体感できればいいのですが、ちょっとまだまだ、体感が薄いところがあって、右旋、左旋の作用というか、もう少し詳しくお聞かせいただければと思っています。
陰陽五行とか、ヨガとか、勉強していたことがあって、身体の右側は、陽とか、男性性のエネルギーが流れていて、左側は、陰とか、女性性のエネルギーが流れていてということを勉強したことがあって、右旋、左旋の回転も、そういう作用と同じなのかなということが、気になりました。

【七沢代表】

◇なんで、遠くの雲を消せるんだろうか

右旋も左旋も、一つの反対概念ということでもないというか。非常に、難しいところですね。作用、反作用のようなところもあるし、負と正、プラスとマイナスのような面もあるし・・・。
直線という概念を人間は創り出すわけですね、もちろん、物理学なんかでも、光の直線とか、よほど重力がかからないと曲がらないことになっているんですが。
我々が、水でも感じる、北半球と南半球で、廻りが違いますし、台風はきれいに左に回転したり、高気圧が、逆の右から回ったり、そういう目に見える風とか、水とかその他の五行、あるいは、九行のうちの、エレメントは違います。また、階層でいうと、さらに要素も絡んで弱というか、あるいは、見えたり、見えなかったり、感じたり、感じなかったりということがあると思うんですね。
だから、階層の中で掴むということの中に、自然の中で掴むということがあったり、見えたり、見えなかったりということもあるんだけれども、今、我々なんかは、非常に、低い電圧で電波を送っても、遠く広い範囲に影響があるというか。一種のテレポーテーションやテレパシーのような、あるいは、電磁波で、波がエネルギーとして飛んでいるのではないかということですよね。
我々の普段を考えると、お祓いの声は、祝殿の中だけでやっていますが、バスクの話ではないけれども、谷と谷の間でもって、意志を伝え合うというようなことになると、テレパシーのようなものも使うんだと思いますけどね。そういう耳に聞こえる音と、聞こえない意志の波ということが加わってくることもあると思うんですね。
そういう微妙なところに、我々は、立っているんだけれども、その中でも、特に、音と波の回転というのは、祝殿修行では、ごく当たり前に、お祓いの声で回転を始めたり、右旋も左旋もするんですね、止まったりね。そういうものも、声で、修行するということをやるんですが。音が、聞こえていれば、効果が上がるのかどうかというところも・・・。
武道もそうですね。気合術というのもあるんですね、「エーイッ」と言って倒すような、まあ、ビックリして倒れる人もあるけども。音の大小も、あるのかもしれませんね、音圧の力がね。だから、近くの音と、遠くでも効果があるというか、雲を消したりするという方法もあるんですよね(笑)。あるいは、言葉で、変えるとかいうことも、色々とやってみたんだけれども、たぶん、その出した音が、何十キロも先とかには、伝わらないのに、何で、雲が変わるんだろうかと・・・。
それは、自分の錯覚かもしれないけれども、そういうものもあるということですね。そういう世界もあると。

◇魂に神を繋ぐ、直霊も回転している

だから、音が、音波を持っているものとか、電磁波の違いというものもありますが、そのためのロゴストロンというものは、そういう役割を持っているということで、効果がある場合も、周波数でもあるし、遠くでも置いておいて、自分に発信した時に、また観察できるような波でもあると。
それが、回転になっているというところでは、階層の中で、それを、掴まないといけない。波というのは、ある面では、既に、旋回転的な要素を持っていると。そして、五魂の、荒魂、和魂、幸魂、奇魂、精魂も作法の回転の中で、再現、理解するようになっているんですが。
実は、五霊も、魂と神をつなぐエネルギー場として、これも、旋転回していて、生産霊、足産霊、玉留産霊、そして高牟須霊、神牟須霊で、ちょうど、五本の指で見ると、中指と生産霊、人差し指と足産霊、薬指と玉留産霊の3つと、親指と高牟須霊、小指と神牟須霊の2つに分かれていると説明しましたけれども。これが、ちょうど、左右にあるもんです。それが、合わさって直霊(なおひ)になるという話をしていたんですね。この両手が、それぞれ巡っているということを、各指の渦状紋というものもありますけれども。渦の紋が、指に出ているんですね。これは、全員が違うから、指紋照合が出来るわけですね。
この左手の五霊と右手の五霊が、マイナスとプラスのようになって、左と右のように直霊として分かれて、もう一度、五霊が一つになって働くわけです。一つで、直霊というふうに呼んでいるんですね。
だから、一霊四魂という言い方も、無きにしもあらずで、悪くもない、間違っていたわけではないのかもしれない。一霊を直霊としてというか、直霊も、二つあるわけです。だから、左、右の直霊の回転が違っているんです。
左は、こういうふうに回っているし、右は、こういうふうに回るように、出来ているというか。ですから、マイナスとプラスというふうにいってもいいし、負と正というふうでもいいと。これで、作用と反作用が起こるわけです。
言い方を変えますと、一方の直霊の作用ともう一方の直霊の反作用で統合、結合が起こると言っても良いでしょう。そのように全ては、回転しているんですね。五霊も回転しながら、しかも、プラスとマイナスというものが、回転しながら、それが、繋いでいると。魂に、神を繋ぐという世界もあると。
その辺りが、体感はできても見えない、聞こえない、直霊の世界と言いますか。

◇吐く息と引く息では、作用の異なる酸素を使っている

さらに、天津神と国津神の世界も回転なわけです。そういう神の巡りも、ちょうど、五霊というもので、それを調節して、魂や物質につなげていくと。
物質も、ある面では、純粋な物質と、H2OやO2のように分子結合した、水、酸素というものを吸収しながら、生きていますよね。では、Oは、Hは、どうなるんだと。たぶん、それも、二つあるんですよね。
回りが違って、電子と陽電子が、左旋と右旋という違いを持っているようにですね。ですから、酸素も、吐く息と引く息では、たぶん、作用の異なる酸素を使っていると。それも、巡りなんですね、右廻り、左廻りでいくんですが。それが、たぶん、吐く息の時に、左回りの息が、主に、出るようになっていて、引く息の時は、右回りの動きをしているんじゃないかと。吐く息は、肺、喉から口腔、唇というF字形で出ていく。吸う息のときは、∩字形で鼻から喉、肺へと入っていく。白川は口呼吸はしませんからね。もちろん、アコースティックでありますが。
例えば、武道なんかをやる時には、吸った瞬間に殺されますよね、息をしたら。だから、息を止めるとか、吐くかですね。野球でもそうですね。
昔、ゴルフの三大大会を制した人が、「シニアに行きたい」ということで、身体を治してあげたことがあったんですが。その時には、息を瞬間に、吐くということと、止めるということをやりましたね。ヨガもそうですよね。吐く息と、止めて、また吸うということがありますが。

◇小さなエネルギーでも大きな影響を与えられるのは・・・

五大栄養素と13のミネラルが最低必要だと言われますが、炭素と水素と窒素と酸素は、一番必要なのに、その必須栄養素に入っていないんですね。だから、より微細ということですね、身体に、そんな変化はないと考えているからかもしれませんが。ただ、止めたら死んじゃうということで、呼吸が3分で、水が3日で、食物が30日という長さがあるけれども。
息も、更に、メッシュを細かく観ると、吐く息と引く息は、止める息とは、違う回転を持っていてと。吸っているのは、O2を吸っているんだと。その元素としての酸素は、吐く息の時に、それを受けていると。
そういう作用と反作用でもって、そういうものを吸収してるんだと思うんですが。その廻りが、反対廻りになっていると。ほとんどの存在物、神までが、回転だという考え方ですから。
一度、これは、表に出したほうが良いかなとは、思っているんですけれどもね。全てが、科学的にも、たぶん、我々が、まだ、気が付いていないエネルギー場ということです。
要するに、我々は、エネルギーをどこまで、効率的に使い、あるいは、みんなに、意識エネルギーも含めてお分けするかということが、まさに、ロゴストロンの醍醐味のところであって、それは、本当に、小さなエネルギーでも、それが、大きな影響を与えられるということをもたらす廻り、旋回は、どうなっているのかと。
ですから、今、我々が、あげているお祓いでも、吐く息のことですよね、言葉でもって、吐いているから、それが、作用、反作用として、すべてメビウス的に戻ってくるというところがあるんですが。

◇耳が開く

その理解とか、エネルギーの出し方もありますが、大きく佐々木先生の分離唱というのも、そういうことですね。大きい声であればいいというわけではない。さっきの遠くまで伝わるということでも、単に、大きい声である必要はないと。
ただ、小さくすればいいということではなくて、作用に対して反作用で、どこまで、広げていくことができるかという祓いの音、あるいは、祓いの意識を考えてみるということであるかと。
耳が開くとか、全ての人の思いが分かるというかね。みんなと合うとか、一人ひとりの音から、全ての境地というか、一緒に、お祓いを上げる時に、一緒の人の全ての意識が、聞こえるというのが、耳が開くということの意味だと思うんですね。
これは、Tさんが、月次祭の直会の時に、分離唱のある方のことについて、言ったことがあって、目からウロコだったんですね。それで、少し考えてみて、我々も、ペンディングにしてあったんですね、分離唱のところは。しっかりと、Tさんに指導していただいても良いのですが。
ここで、しっかりと、みなさんで耳を開き、その上で、みんなの合唱として、合うというか。要するに、合う前に、耳が開くということをいうわけですね。それは、音も、たぶん、大きい小さいではなくて、意識のレベルの問題が絡んでいるから、意識というのは、ちょうど、長谷さんの整体も同じですが・・・。
私は、強く触る、体性自律神経反射療法というのを、極端な人間ですから、長く鋭いステンレスの棒で、よく李先生に、ひんしゅくを買っていたんですが(笑)声も、大きい声であればいいということではないんだけれども、意識というのは、たしかに、微かなものであっても、それが、大きな広がりと、影響を持って作用が出てくると。我々は、それを、メビウスとか、ゼロ磁場ということを実現しようとして、そういうものを科学的に一つにしてしまおうということで、物理学的な意味の野望や概念の装置化なんて言っていますが。
そういうことを言うんだったら、アナログとしても、体感して腑に落としていかないといけないと。ですから、巡りは、これからも、しっかりとご修行してもらうと。その世界が分かってきて、旋転、旋回が当たり前ということが、身をもって、分かってくるので、そちらのほうで、後は、実験されたらいいかなと。
そんなことを感じました。