0471話:2018年06月16日

◇諸先輩方が、日本をより良く繋いでくれていた

我々はどうも神様をお使いしちゃうと言うと、大変失礼ですけれども、一神教の神様だと、お願いすることに引け目を感じざるを得ないところですよね。元々、労働も、最初から原罪、オリジナルな罪を持って生まれてきている、あるいはその結果、労働は罪を贖う為の苦役であると言われてしまうわけですね。創世記には、色々と人間には厳しいことが書かれてあって、人間やっていくのも大変だなと思うこともあるのですけれども。
今、我々はこうして、神道のことをいよいよ世界に向けて語りだしたということでもありますけれども。日本の歴史からみると、非常に深刻な戦前の時代まで中に生きてこられた諸先輩方を拝見していると、本当に辛い人生だけれども、一方では、明るく生きてこられた、陽気に生きてこられた人達が、日本をより良く今まで繋いでくれていたのではないのかなと感じるんですね。
笑い講なんていうものも、九州にはありますよね。全然、おかしくないけれども、御幣を持って、ハッハッハとやり続ける。それをすると、本当におかしくなるみたいですね(笑)。生き方を工夫した方法もあるのですけれども。もちろん、深刻な部分もありながら、笑って明るくしていく、そういう意気込みというのかね、そういう生き方というのを持つのは、凄いなと言うかですね。

◇病から離れる祭り

神道には病にかからない作法や注意は沢山ありますが、究極の病から離れる祭りというのがあります。実は病という神様もいるんですね。それを荒い神と書いて、荒神様と言うんですね。三方荒神さんではありません。
その荒神様を身体からこっちに置かしていただければ、みんな健康になれるというか、非常に安易というのか、簡単な方法というのか、全ての病気は荒神様が病気の神様だから、その神様を祀り上げてしまって、みんな健康になれるんだということですね。
白川でもそれで「荒神祭」という祭祀をします。これは素晴らしい発想、概念の使い方だと思うんですね。
今の医学では、病気という概念を一生懸命、名前を与えて、病気ということを顕現する。
もちろん医療制度上の必要悪なのかもしれませんが。病気であるということを決めつけられているようなもののところがあってですね・・・。
「◯◯病」という名前が付けられた途端、病気らしくなったり、病気になったと確信し、納得する様な。
私の場合は、体温が40.6度くらいになって気持ちがいい、なんて思ったりしてですね(笑)。それを一ヶ月間くらいほったらかしたんです。死にそうになったことがありますが、今ではそれはどうかと反省していますが・・・。

◇遠津御祖神を遡っていくと・・・

もちろん一方で、沢山の本当の医学と言いますかね、勉強させていただきました。
今回も石原克己先生にお出会いさせていただいて、私が20代ではじめて鍼を打っていただいた島田先生と、石原先生が親しかったということで、今回も、こんな長い鍼を打っていただきましてですね。やはり、石原先生は世界一の鍼の先生だなと直感させていただきました。私は、すぐに先祖とか、前世とか、そういうことを調べますから、すぐに分かってですね、丹波康頼(たんばのやすより)だったのではないのかと。
石原先生は実名は克己とおっしゃるのですが、先生が私の名前があるんでしょう、と言うんですよね。そういうのは、すぐに分かりますよ、ということで見ていたら、源の家だったということで、源大貴というお名前が、こつ然と出てくるんですね。
それが出てきて、よく見ると、医療の神様の大己貴命という名前と、本名とで、大己貴となります。そのお名前は、源朝臣源大貴ですね、と石原先生にお伝えしたことがあったのですけれども。石原政樹さんは、建内宿禰(たけのうちのすくね)、建内朝臣(あそん)と出ましたけれどもね。
遠津御祖神とそういうものも、遡っていくと、忽然と、どんな名前になるかということが、ごく当たり前に出てくるというかですね・・・。私はその読み取りの専門家ではないのですけれども、出るのだなということが分かっています。これも科学的に証明されるようになるといいのですが。
ここのところは色々と不思議なことが起こって、七沢研究所とか、ロゴストロンは、あるいは圀手會もそうですけれども、神秘は言わないと、決めてあるわけですね。船井幸雄先生が亡くなった時に、神秘は終わったということを宣言されて、亡くなっていったということがありましてですね・・・。私も久しく忘れていたのですけれども。最近は、皆さん、フッと言葉が出てきたり、アイディアが湧いてきたと言う方が研究所内に続々と出てきているので(笑)、これは自分でも気をつけないといけないなと思っていたのですが。
芸術とか、そういうもので出てくる場合とか、歳をとって脳の海馬が発達して、直感が出てくる分には、構わないのですけれども、これは歳をとった者の自己弁護です。
やはり、一種の神秘ということで表現しなければならないことが出てきて、それが許されるというのは、この科学の時代ですから問題なのではないのかと警戒しています。

◇ふと思った仮説を、神秘にしないで証明する

しかしその一方で、白川では「ふと思うは神心」という教えが代々あります。それを言霊学の小笠原孝次先生は、布斗(ふと)麻邇と考えていたのですけれども。ちなみに私は、布斗麻邇を「フ(二)」と「ト(止)」、「マ(間)」、「ニ(似)」とパラフレーズ(言い換え)ています。
ふと思うと言うか、思い立ったら吉日ということもありまして、どうしても思ってしまったら、それは否定しようがないことでもありますけれども、でもその後があります。それを今度は、やっぱり出た仮説としても、証明しなければいけないのではないのかと。その時、どの階層から出たものが特定し、その位相で証明しないといけません。
それが五魂の階層で証明する方法もあれば、五霊の階層で証明する方法もあれば、神の階層として証明する方法もあれば、感情、心理の階層で証明する方法もあれば、あるいは科学として、そういうものを実験して、確かにそうだということをしっかりと証明するということが必要だというスタンスでいこうと思っております。

◇宗教では、魂がそう納得したら証明されたことになる

しかしですね、極端に言うと、宗教も、ある面では仮説を立てて、イエスは確かに神の子である、マリア様は確かにイエスさんを処女懐胎して生んだんだということを証明する方法もあるわけですね。心と言いますか、魂がそう納得したら証明されたということになるのが、本来のキリスト教徒、カソリックだと思うんですね。
それは、坐禅なんかでも、無門関などは五十、様々な公案があって、それを1つひとつ自分で証明することによって悟るる世界がある。確かにその通りだということで、確信に至って、納得が出来る人生にするということがあります。
我々はそういう方法論を科学でもって証明して、その結果が得られるから、それを多用しているところが無きにしもあらずでもあると思うんですね。見えているものと、見えないものというのは、境目がなかなか分かりづらいと言うかですね。そういうところがあろうかと思うのですけれども。

◇たとえば、電子顕微鏡も一種の虚像を見ている

何故かと言うと、数学で言うと、虚数というか、ルートマイナスいくつとかありますし、物理学もマイナス、あるいは負と正というような概念もあってですね、実験で見つめるということでも、なんと言いますか、電子顕微鏡というものも一種の虚像で見ているんだけれども、確かにそういうふうになっているんだと、自分の目で見たわけではないんですね。
電子顕微鏡とか、そういう特殊なフィルターや機械を通じて、それが確かにあるんだということで、我々は一応、認めていると言うかですね。みんなで認めれば怖くない、いやその通りになってしまうということもありますけれどもね。もし間違っていれば、後世の科学が、またそれを訂正してくれるという意味で、当面は、そういう暫定的に、その科学的手法というものを使っているという進行形で考えるということが、もちろん、必要であるというかですね。

◇私のミッション

私は今、特にこの一年間で、証明しようとしていることがあります。それは、三種の神器と十種神宝と、そういう用語でもって呼ばれているもの、あるいは実体としては、鏡とか、剣とか、玉とか、色々とあるのですけれど、それが神器と言われて神の依代になるということを証明するのがちょうどですね・・・。
私が1つのミッションを与えられることは、いくつかの時代にあるのですけれども、大学に行っている時に感じたのは、皇太子がお生まれになった時に、私はその教育要員としての使命があると、そういうことの研究に入ったキッカケが、森佐平さんの「小説スメラミコト」でした。最初に読んだ時に、白川の先生である中村新子先生が仮名でですね、書かれてあったのですけれども。それを読んで白川のお伝えしている先生を知ったんですね。
それで能澤君と一緒に、神社界で当時、調査部長をされていた岡田米夫先生に、この仮名になっていらっしゃいましたけれども、中村新子さんがどこにいらっしゃって、どうしたらお会い出来るのということをお聞きしました。そうしましたら、丁寧に教えてくださいました。
岡田先生は、昭和27年に、その中村先生の白川の伝える調査したことがあると、その時の調査資料をお見せいただきました。そして、それが白川の秘伝を知るキッカケとなりました。7年間、中村先生のお子様であられる安見晴子先生のところに、昔の八日市市というところに、そこの松尾神社に行きまして、教えてくださいということをお願いしたのですけれども。
7年間、待っていました。普通は、禅で言うと、3日から一週間くらい、お寺の前の石の上で、寝たり起きたり、食事もしないでいると、声をかけてくれるという、入門出来て、修行をさせていただけるんですけれども。7年間、待たしていただいて、その間、人物をしっかり見ていただいて、その上で、高濱浩先生に推薦していただいたのです。
安見晴子先生は、お会いしました当時、脳梗塞を患っていらっしゃって、少し不自由だったから、私はご修行は教えられないということでした。弟にあたります高濱浩先生がまだ京都のですね、その戦前は神官をされておられて、中村先生が受けられる国家公用の高等神示を取り次ぐ役をされていたのですけれども、戦後は、デパートでお勤めをされていらっしゃいました。色々とございましたが、私はたった一人の最後の弟子ということになりまして、先生は白川を100年でも、200年でも甲府で守れということを遺言されました。200年も生きられるのかなと思いまして(笑)。そういうことで、先生から7年間、毎月、甲府に来ていただいて、白川の伝授を受けさせてもらいました。それを皇太子様に手取り足取りお教えすることは、もちろんそうするわけにはいかないのは当然でございますが。

◇帝王学に行き着くものであるという証明

やはり、我々は白川のそれが天皇学、帝王学に行き着くものであるということを、今の時代の中で証明しなければいけないということですね。確かにそれが帝王学である、あるいは天皇学であるということを証明していくということが、科学的な方法に繋がると言うかですね。
その中で一番なところが、白川にしっかりと伝わった八神殿のご修行の中心にある五霊と言いますかね、生産霊、足産霊、玉留産霊、高牟須霊、神牟須霊と言うかですね。そういう五霊というものは、今まで、全くシークレットだったところであるのですけれども、この期に至って、それを証明しなければいけないというのが我々の役割だと思うんですね。その詳細な点は、ご容赦願いたいと思います。

◇実証の立ち会いをしていただいている

しかし、この圀手會の皆さま方には、その証明の実況中継をさせていただいているつもりで、ある面では、皆さんがその証明の承認ということか実証の立ち会いをしていただいているんだということで、この道程を同時共時でお伝えして、それを皆さんと、ある面では、それを分かち合っていただければ良いのではないのかと。
もちろん、帝王というものが一人一つと言うかですね、そういう意味合いもありますけれども、今はそれを、各企業の責任者の、あるいは心ある方々には、それを学んでいただきたい、また、文化を見直す人たちにも、そういうことを分かって、知っていただくことが出来れば、日本の文化も大安心になるのではないのかなということです。
それを皆さんと共に、圀手會が学士会館で発足して以来、もうこんなにも団結が出来てしまったのが、これはやはり人間業ではないなということを非常に感じています。ですから、これからもっともっと激しく世の中に露出していくのではないのかなということはあります。

◇“熱天”NETTENが始まった

神示になるのかどうか、ちょっとNETTEN(ネッテン)のことを話します。右から読んでもNETTEN、左から読んでもNETTEN。今日の石原さんの熱の入れようは、まさにネットに魂が入って“熱天”になったというのか、NETTENが始まったなという私の直感でございますけれども。これは登録商標に今、しております(笑)
私は人間というのは、何があっても身も心も温かいもの、人間同士の関係も触れ合いと言うか、あるいは神との触れ合いもそうかもしれませんし、動物とも、機械とも、そうかもしれませんけれども、最後は温かいものが通い合う関係、心と心、機械と心、あるいは神と人が熱い、あるいは温かく通い合うということが、心地よく楽しいことだということですね。
温かさというものはオオヒルメムチ、天照大御神の日本の伝統でもあるし、イソノミヤの伝承でもある、温かい人間関係の圀手會でいきましょうと言うか。
今日も皆様の熱のこもったご発声と言いますか、そういうもので、共に意識進化ということを考えますと、非常に大変な時代でありますけれども、それを原動力にして、新しい社会の、Nigi通過もそうですけれども、尊厳のあるお金の使い方、あるいはお金ということが、人の魂を高貴にする為のお金になったり、人間関係になる、その元にあるのが、神と人の関係であると言いたい。
日本語で一番立派な神の名を漢字では、「貴」という漢字を使いますね。貴(むち)、これが一番高い神の呼び方なんですね。
大日孁貴(おおひるめむち)というのが、天照大御神の名前であったり、大己貴、道主貴(みちぬしのむち)というふうな時に、「貴」と使いますけれども、少なくとも、それはそういう神を迎えて、人の尊貴、尊厳性の中で、温かいコミュニケーションが出来る圀手會でありたいな、ということを今日は皆さま方と共にした言葉であると感じます。
ということで、今日はお開きにさせていただきたいと思います。これからも、宜しくお願いしたいと思います。
ありがとうございました。