0476話:2018年06月20日

フトマニの里の東屋建設計画に関する打ち合わせ

【七沢代表】

◇時間軸を江戸時代くらいに置いて・・・

要するに時代的には江戸時代の建物が廃屋になって、そこにあるような、しかし、中は明るく、と言うか。時間軸を江戸時代くらいに置いて、その姿は現代のように暗くしないというかね。明るいんだけど、そういう歴史の余韻が残っていると言うか。矛盾していることを言っていますね(笑)
イメージとしては、画家の不染鉄さんですね。


●Wさん(東屋を建設される業者の方)
色彩がすごい面白いですね。

【七沢代表】

◇生きている、生かされている、その境目

こんなイメージが面白いかなと思ったんですけれどもね。ここのフトマニの里はちょうど、江戸時代に畑と田んぼの境であった所ですが、元禄時代の検地で、こういう南北に広がる形の土地を作ったんですね。
うちの先祖は450年くらいいて、22代目くらいなんですけれども。ここは中間くらいのところだったから、そのイメージを家と農園風景とか、そんなようなものがあると、風景の中に入った時に、そこに多分そういうものがあったと思うんですね。それが主旨と言うか。
自然の中に溶け込んでいる時というのは、廃屋になる直前の葺きで、あとはジャングルみたいに草とかになっちゃうんですね。
そうなる手前が結局ギリギリのところから、里山の風景を残すときの、いくら人間が自然に抗って飲み込まれる直前の、それでもなお、生きている、生かされているということの境目みたいなものが、東屋で垣間見れれば良いのかなと。

●Tさん(七沢研究所スタッフ)
日本庭園は、自然なんだけれど拮抗している感じと言うか。

【七沢代表】
まさに枯山水(かれさんずい)は、そういうことの表明、そのための表現なのではないのでしょうか。まさにその象徴みたいなものですね。里山は、最初からそれを作ってしまう。
ここは何でも最初から1年目で、江戸時代の風景はもちろんですけれども、70年くらい前の田園風景というか、田んぼがあって、それを1年で作ってしまったわけですね。ここは、畑もあります。縄文あるいは弥生から現代まで全部繋がっています。ここでは、あらゆる土器が出てくるんですね。

●Wさん(東屋を建設される業者の方)
改めて、これから、ここに作る意図は何ですか?

【七沢代表】

◇自然の風景と昔の面影が畳み込まれている、コミュニケーションの場

それはみんなのコミュニケーションの場ですよね。自然の雰囲気と昔の時代の面影がメビウスではないけれども、畳み込まれて詰まっているんだけれども、現代のコミュニケーションも出来るような場と言うか。だから、明るくなくてはいけない。廃屋という過去の郷愁のイメージだけになってしまう。明るくなくてはいけないし、しかし、あんまり明る過ぎてもいけないし・・・。表現の範囲がまた狭くなるわけですね(笑)。そういうものを造形としてあれば良いかなと。そんなところですかね。
焼物も838度というようなところで焼ける赤楽(あかがく)、そういうものと同じで、ほんのちょっとの温度の違いみたいなものが、そんな名人芸みたいなことを言ってもしょうがないけれども、そういうような風景になれば良いと頭の中にはあります。

●Tさん(七沢研究所スタッフ)
先生と前回、お話させていただいた時に、幾何学を活用したら良いのではないかということでしたが、その辺りを詳しく教えていただけますか?

【七沢代表】

◇景色の中に合うような比率、対比を

それは、黄金比と白銀比ではないですけれども、景色の中に合うような比率、対比、それが幾何学のようなものだからね。そういうもので白銀比というものでいくのか、黄金比というものでいくのか、それは1つの幾何学的なアイディアの意味ですね。
昔の雪舟さんの墨絵家なんかだと、非常に幾何学的だと思うんですね。だから、そういうものを現実の風景ではないものを風景の一部にする時は、そういう幾何学を応用すると良いんですね。傾斜とかね。
とにかく、ややこしいことがてんこ盛りになってしまい、ごめんなさい。

●Wさん(東屋を建設される業者の方)
屋根、頭の部分を軽くということを仰っていましたが、詳しくお聞かせいただけますか?

【七沢代表】

◇地面と人間が触れ合う場所

水墨画の出てくるものというのは、案外、軽いタッチではないですか、雪舟さんも。たぶん理想は、パオのようなものから、家に向かったと言うかね。家も昔の神事に使う家というのは、一回一回取り壊していました。土が大事で、土と床面が同じなんですよ。神事に使う家というのは、掘っ立て小屋だったんです。
そのところをやるのは、今の建築の発想からいくと出来ないんですね。昔は、それを一回一回取り壊して、また再構するから、ここでは、そういうふうな雰囲気を出してもらえればいいなということがあります。
そこが地面と人間とが触れ合う場所が、同じ位置で、家の中も、そういう感じで、自然を掴む場所となる。そして、次に、そこで真菰を敷いただけで儀式をするようになる。

●Wさん(東屋を建設される業者の方)
フトマニの里の東屋の建設予定地にいくと、この暑さなのに、全然、しんどくないんですよ。座っていると。地面と一体感を持てるような場所になればいいかなと思っています。

【七沢代表】

◇五行と人間が一体となる、入り口の場所

インドなんかでは、土の上でヨーガとか修行をするんですね。それは、火と土とかは暑すぎて・・・。
土と、要するに、ここでなんで、里山を作っているのかと言いますと、水とか、土とか、火とか、そういう自然の五行というものと直接、触れ合うことが出来るような場づくりです。それは完璧な視点ではなくて、人間が自然を景色にするというところの、人間の意識と場所の整合性ができるということは、五行と人間が一体となるために、それが自然に入り込める入り口になるという意味の場所だから。


◇大きい屋根のところ、ここから公が出てきた

特に屋根だけとかそういうことではないんですね。屋根になると、初めて大屋家と小屋家が、公(おおやけ)と小やけ(こやけ)になったんですね。公というのは、大きい屋根のところで、人がたくさん集まって、決めごとをしたり、公会堂ですよね、ここから公というものが出てきた。
これは社会学という学問です。そういう、なるべくみんなにその屋根を公ということを学んでもらおうということなんです。社会学、コミュニケーション学、沢山の人が家族だけではないというイメージがありながら、その場所がそこにあると言うか。そういう、ここは一種の学習装置ですね。子どもたちが自然を見ただけで、学んでいくようなものであればいいわけです。それは我々の先祖ということを学ぶということでもあるわけでしょ。
江戸時代のというか、生きたものを感じられるような、そういう景色があると、遠津御祖神と言うんですけれども、先祖にも入りやすい。この辺一帯の土地は、神社の参道になった土だったりします。神社とか、仏閣とかは、そういう先祖が繋いできた役割でしょ。そうしたら、それのどこかに先祖を感じられるような・・・。だんだん要求が多くなってきましたね(笑)

●Tさん(七沢研究所スタッフ)
木火土金水という五行を情緒的に感じると言うか、そういうことなのかなと。鎮魂とか、祓いとか、そういうことをちょっとパッとやってみたりというものなのかなと。

【七沢代表】

◇掘っ立て小屋でありながら、あらゆる神殿を感じる場所

古神道で言うと、「草も木も人もなおさら真砂(まさご)まで神の社と知る人ぞ神」草も木も全て社。草も木も水も、五行を感じる、ちょうど、そういう存在物としてですね。建物では、社という概念が一番近い。自然という神に入り込んでいく、1つの象徴というか、全体が一種の社なんですけれども。
世界のあらゆる神殿ですね、イスラム教やゾロアスター教、ユダヤ教、キリスト教もですが、どこにあっても神の社として、おかしくないような場所ですが、そこに神が見えないから分からないんですね。
自然が神になっていて、そこから神を学んでいくという学び方があるんですね。それを世界の1つの文化として伝えるということが、住宅地ではないけれども、そういうところの一角であっても、そこから始めてみる。住宅の外に出たら、自然というものに触れて、もちろん、ミニチュアですが、一種の箱庭療法みたいなものですね。
言い方を変えると、自然を体験している、それが子供だから、自然に入り込んで、自然を体験して、それがいよいよ神なんだよ、ということを感じることが出来る方法は、日本の文化しかないと思っています。掘っ立て小屋でありながら、あらゆる神殿を感じる場所と言うかね。全部が入ったようなね(笑)。
そういう、色々な意味を考えてやったら良いのではないのかなと思います。