0477話:2018年06月21日

おはようございます。
今日は、Tさんという方が来られていて、私に、はふりめくの意見、感想を、今まで一番書かれて、今のところ、伊藤利昭さん以外で”Nigi”の一番の保有者です(笑)

◇”Nigi”の一番の保有者

1Nigiを貰えるのは、白川のことで、1意見につきということで、今のところ、一番お持ちになっている方です。昨日は、初めて、祝殿講習に参加されたので、何か感想をどうぞ。

●Tさん
Tと申します、宜しくお願いいたします。初めて、祝殿講習のご修行に参加させていただいて、正直な感想を言うと、驚いたというか、色んな現象が起こるのを、目にして、驚いたと共に、もっともっと自分も、日々やっていきたいないと思いました。
それから、その働きが、七沢代表のお話でいうと、遠津御祖神の働きだということで、最近、東京で、古事記の勉強会に参加したら、自分の使命は、遠津御祖神のところから来ているという話も、聞くこともあったので、とても、興味を持ちました。また、そのようなことを体感できたということが貴重な体験でした。ありがとうございました。

【七沢代表】
Tさんからは、もう五十回くらい、感想をいただいたので、一番のNigi持ちですよ(笑)今日は、石原克己先生も、いらっしゃっていますので、お話をお願いしたいと存じます。私は、毎年、6月のワープの頃になりますと、健康面で心配を持ちながら、登壇することもしばしばなんですが。今年は、石原先生にお助けいただいているんです。

◇6月の梅雨の冷え

6月というのは、一年の中で、陰の陰というのか、一番冷えるんじゃないのかと言われているので、自分でも気を付けているつもりでしたが。諏訪で、相当冷えましたね。
何か、先生、梅雨の冷えなどで、注意することなどありましたら、お話いただけたら、有り難いです。

●石原克己先生
この時期って、結構、湿度で暑いようで、足のほうが冷えやすいです。やっぱり、湿気と冷えに気を付けないと、お腹の状態と、風邪なんかも引きやすくなります。
ですから、口から入れるものも、出来るだけ、冷たいものよりは、温かいものを、もし、冷たいものを少し飲んだとしたら、夕方から夜にかけては、温かいものを取ると。
そして、一番大変なのは、暑くなれば、そこに身体は適応できるんですが、この梅雨の時期は、暑いと思ったら、また冷えたりという寒暖の変化が、春の3月ほどではないですが、この湿気と冷えには、よく注意されてください。あと、身体を動かす時は、少し汗ばむ程度までが良いですね。相当激しい運動をしている方の場合は良いんですが、あまり激しい運動をしていない方なんか、デスクワークなんかをやっている方は、あんまり汗をかき過ぎますと、少し汗ばむ程度で、止めないと、逆に、体温が落ちてくると。
あと、食べ物では、よく味わって、噛んで、食べ物の命を、心の中で感じながら、野菜でも、お米でも、魚でも、こんな味だったんだという、一つひとつ味わいながら命をいただくと。そして、その命と身体の命が、結ばれることによって、私達の命が、より盛んに、元気になっていくと。私達の命の存続というのが、周りの食べ物の命のお陰であるというところも見ていくと、意外と過ごしやすいのではないかと。
あと、若干、足が冷えて、気になる方は、風呂で、温冷浴をやるといいです。全身でやる、やり方もありますが、簡単には、お風呂上がりに、洗面器を二つ用意して、一つには水を入れて、もう一つには、お湯を入れます。そして、お湯に一分間、足をつけたら、水に一分、また、お湯に一分、各三回づつで、最後に、水であがるという形でやっていくと、意外と身体の方の健康は、維持できるのではないかと思うんです。このくらいですかね。

【七沢代表】
では、もう一人、小池先生にも、何か一言お願いします。

●小池先生
今、石原先生が、お話されたところで尽きますが、どんどん、気候の変動がおかしくなっているから、今年は、寒いですよね、非常に。
梅雨寒だなと、昔の時代劇なんかの小説とかを読むと、梅雨にこたつを出すみたいな話が出てくるんですが、今年は、本当に、そういう感じで、物凄く暑いとなったら、気圧も変動して、寒くなってくるということで、割と、体調を崩される方が多いんですね。クーラーをかけた方が、楽な場合もあるかもしれませんが、そういうところを気を付けて、十分に休息を取るような形で過ごされたら、良いかなと思っております。

【七沢代表】

◇案外、自分の健康のことは、よく分からない

私も、小笠原孝次先生から、若い時に、鍼(はり)を勧められたんですが、石原先生とも関わりのあった、島田先生と、漢方の矢数道明(やかずどうめい)先生のお力を借りていたので、どっちかというと、お爺さん育ちというか(笑)そういえば、昔の先生が、「陰の陰だから、一番冷えるんだ」と言われるのを、おかしいなとは思っていたんですが、小池先生のお話で、時代が、関係あるんだなということが今、分かりましたが。
やはり、健康というのは自分でよく分からないもので、私なんかも、古希近くなって、虚弱体質って、青木先生に言われて、「ああ、私は、虚弱体質だったんだ」と・・・。この歳になってから、自分の身体のことについて、言われて気がついたということで、案外、自分のことは、よく分からんというか。
私は、いつも、ギリギリまで行くのが、普通というか、今回は、6月で、プツンとなるところを、石原先生と小池先生に、支えていただいています。やっぱり、極限までやっちゃうと。私の場合は、どっちかというと、荒魂というか、非常に、そういう極端なギリギリまでいって、元気が良いのは気持だけかもしれませんが。一気に、限界までいくような癖があって、その限界を超えてやるというか、そういうのが得意な技だなんて、うぬぼれていたということもあって、それが、いよいよ、そんなことも言ってられないということで。
そんなこともありまして、我々は、そういう病気の神様とか、健康の医薬の神様というものを、しっかりとお働きいただいていて、本来は、そのお働きで、良いはずなんですが。やはり、時代、あるいは、その人の性格によって、健康観に特徴が出るということは、よく分かります。ですから、その辺も、限界に来てから、対処するというのは、ちょっと私の態度が誤っているのかもしれませんけれどね。

◇天津神の概念を生き方に反映させていく

天地人ではないですけれども、天の時、地の利、人の和とか、そういう大まかな分け方もありますが。それと、しっかりとコミュニケーションして、人と人のコミュニケーション、人と自然のコミュニケーションの問題、そして、我々は、天の神、すなわち天津神をしっかりと掴もうということであります。
そのときの天とは、単なる空とか、風とか、そういう存在だけではなくて、もちろん、それは、ヒンズー教、仏教でいうと、カーラチャクラ・タントラ、時輪、時の輪というところも、今、”天の時”と言うときの時は、それを、超えていかないといけないような時期に来ていると。
ですから、天というものを、我々が、今までの概念を超えて行く時に、白川では、要するに、天津神という神様の概念を、用いさせていただくというか、神話の中に出てこられたものを使わせていただいて、そして、生き方に反映させていくということを、大切にしているわけです。
その辺りが、天というものを含めて、考えるというんですかね。天文、天の文というのは、宇宙自然の中だけの情報でないんですね。もちろん、自然を超えるという、一種、おこがましいことなんですが、それは、国(地)津神を超えていくというか、国津神ということは、地という意味の神ということにもなるんですが。ですから、遠津御祖神と一体となってから、自然の五行、あるいは、九行の神様を迎え、それから、国津神の神様、天津神の神様と。
そういう神様の概念をフル活動して、今のこの時代の、まさに、ライフチェンジ、あるいは、そういうパラダイムシフトをしていかないといけないというところにある、大変な時代なんだと思うんですね。それは、やはり、天という概念も、超えるというんですかね。
中国には、天外天という、天の外の天という、また、これは天を超えられないということに、繋がるんですが。

◇名付けて、その働きの神として、お出ましいただく

そういう天津神と言われていることの人間と神との関係というものが、どういうふうになるかということが、大事なところで、天津神ということの意味は、人が、天津神を創り上げるというのも、本当に、言い方が、傲慢な言い方になりますけれども、天津神という存在を、その「お働き」をしていただけるということは、人が、そういう天津神という、◯○の天津神ということを、表現しないといけない、名付けないといけないとコミュニケーションが取れないということが、大変なところなんですね。ですから、我々が、これから、そういう既に、神様の呼び名というか、神様がお働きしやすい言葉というのは、辞典を見ると、一万以上の言葉があるわけですね。
それが、今、我々が、ITとかでもって、やっているものは、それは言葉としては、機械語も入れて、それこそ、何万、何十万とあるわけですが。その中で、我々が、さらに、その神様語の中の天津神に当たるようなお名前を表明する、その働きを引き出すものは、人間が、ある面では、神様の神話に由来するものから名付けて、そして、その働きの神として、お出ましいただくという関わり方というんですかね。

◇神観を変える、新しい生き方も生まれてくる

神と人のコミュニケーションを、新たに、自然という形だけではなくて、人と自然、人と神という関係の中から、新しい生き方も、生まれてくるというか。エネルギーや働きということになりますが、そういうものも、我々が、そこを、引き出さないといけないということが、また、これから、古神道の中でも、必要な仕事になるんではないのかということも、感じています。
これは、神観の違いということもあるから、今の一神教の影響の中で、日本の神道の世界でも、ちょっと奇異に見られたり、「変なこと言っているんじゃないの」と、これは、一種の一神教の神観念が、進化してきたものというところで、作られた観念というか、被造物であると、人間も、自然も、そういうところに神の根拠をおいているから、なかなか、神観を変えることが難しいところでありますが。
神という観念、概念も、これから大きく、変わりうる時が来ているというか、その時に、一番必要な態度というのは、古神道における、というところにも、その働きをお促しするためにも、その働きの神の名付けをさせていただくということが、これから必要なところになるんじゃないのかなということも感じます。
神様の発行所になるわけではありませんが。そんなことも含めて、その上で、慢心しないで、生きるためには、どうしたら良いかをいつも考えているということが、大事なことになるのかなということを、今日は、感じました。
そんなことで、また。