祝殿とは

祝殿(はふりでん)とは、白川家に永らく継承された殿舎であり、現在、失われた「祝部殿(はふりべでん)」の意志を汲みつつ、様々な最新のシステムを導入し、ここ甲府の地に再び立ちあらわれたのである。

祝殿創設趣旨

  1.  嘉永六年(1853年)、ペリーの黒船が来航し、朝野を揺るがせた。孝明帝の御世である。これに遡ること三十余年、時代は内憂外患を兆し始めた。文政八年(1825年) に成る水戸学者・会沢正志斎の書「新論」は、その危機認識を反映する。帝の即位は弘化四年(1847年)、黒船来航の六年前である。高まる国難、民族苦を総身に負われた治世であり、為に宝算を狭められた。しかし、その深い敬神の念、真摯な経綸の志は、諸々の予見と明察を育まれた。帝は即位の年に、学習院の機構を刷新され、青年公家たちの教育に意を注がれた。また、祭祀尊重の御意から、伯王家の祭祀伝承、教育の振興を促された。
    他方で、黒住教の勅願所体制化などの策も執られた。しかし、幕末の情勢は、より深刻な局面を迎える。これを受け、宮中も大幅に不穏な様相を呈する。帝は、これを深く憂慮せられた。為に、諸々の策を敷かれた。その一つに、伯王家祭祀の護持がある。時の伯王家学頭・高濱清七郎を召し、京の地からの脱出を命じられた。爾来、叡慮を奉じ、祭祀、関連諸伝は、民間にも委ねられる形となった。
  2.  祝部殿は、白川家に永らく継承された殿舎である。最後は、東京都新宿区の白川資長子爵邸の母屋に隣接せる殿舎として存在した。だが、当家の断絶に伴い失われた。此の程の殿舎は、祝部殿の意志を汲むものである。同門者たちの意志を結集して企てられ、ここに完成を見た。殿は、神祇文化実修の拠点である。かつ、高等国策、教育、研究、その他の諸事業における象徴的拠点である。
  3.  近年、大震災、大原発事故を被り、日本は国難の様相を呈しており、国の存亡が問われている。かつ他面で、それは世界的な規模にも連動する。文明原理や地球環境の課題などが、厳しく問われるからである。ゆえに、白川学館の再建は、大きな世界的要請に立つ、と言うも過言ではない。
    元来、白川家を遡れば、古代神祇官制に至る。更に遡れば、大化前代の祭官制や建国期の祭政体に至る。それらは、中国大陸、韓半島などの政治・軍事情勢に絡む、世界的地平に関与した。種族、民族、国家などにまつわる、大計や根本政策を企てる機関であった。それゆえ、学館の再建は、大きく時を遡った古代原理への回帰志向とも言える。時代は、巨大な運命的節目を迎えている。厳しい試練期である。
  4.  学館に集える我等は、倭国期に発する大伝統を負う者である。その意を汲み、生かさんとする者である。かつ、同時に未来創造をも、果敢に担わんとする者である。国作りは、遠い国初の神話ではない。我等の立つ、この足元が、国作りの地平である。

 

一般社団法人 白川学館
平成二十四年 八月 十一日

祝殿全景

◆外壁について

あらゆる風景や事物を映し出す外壁は、江戸時代でいうところの「真景(しんけい)」です。それは、山水画で描かれる自然界の「神」を捉えることにも似ています。鏡面仕上げの外壁は、まわりの風景を映し出しながらも、人々の身体感覚を麻痺させ、映し出された世界の中へ吸い込んでしまいそうな姿も見せます。反射しつつも、吸い込まれ、通り抜け、実際に肉体は入れなくても魂が入り込んでしまう感覚になります。

◆屋根について

形状は、甲府盆地の山々の向こうに見える富士山と相似形になっています。裾野にあたる部分は、ブルーのホーローパネルを使っていて、一日のうちでも刻々と移り変わる空の表情や、様々な天候にもマッチする色を選んでいます。四季折々の姿を見せてくれることでしょう。トップライトは、富士山の頂上を表しています。中に入って天を仰いでみると、いくつかに区切られた天窓が特別なスクリーンにも見え、天と地、あるいは身体と宇宙との一体化を感じられる場となっています。

◆内壁について

壁面のレリーフは、甲府盆地の山々を360度のパノラマで表しています。それは、見えるか見えないか、あるかないかわからないような表現になっていて、日の光によってさまざまな姿を現します。

◆昼間と夜間の光について

天井からは、レーザーの柱を8本照射することができ、構造物としての柱以上に存在感を感じさせながらも、実体のない、ほんの一瞬にしか存在しえないものとなっています。また、そこに立ち会う人によって、その存在の感じ方が異なる光の柱となっています。

室内は、昼間と夜間とでは全く姿を変え、昼間は天からの光を受け、夜は地上から宇宙へと発信していくようなエネルギーを感じます。まるで身体が宇宙に吸い込まれるような錯覚の瞬間があります。

◆外構について

外構は、約90本の鏡面仕上げの角柱を結界として設置してあり、そこにも「真景(神景)」が浮かび上がります。建物の一番外側の結界には、約400本の榊による生け垣を設置しています。建物から榊の生け垣までは、白玉石を敷き詰めてあります。生け垣の南西にあたる場所には檜で出来た門を設置してあり、人々を自然な姿で「ゼロ・ポイント・フィールド」へ誘います。

以上が祝殿(はふりでん)の構造上の特徴ですが、ここで解説したことでは表現しきれないほど、日々刻々とその姿は変貌していくはずです。人々がその場(ゼロ・ポイント・フィールド)に関わることにより、宇宙と身体とが一体化し、人としての進化を遂げていくことでしょう。

 

   祝殿(はふりでん)   

 電子祝殿(でんしはふりでん)

    白川学館の学び    

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