七月二十一日に、令和六年「先祖供養月次祭」が執り行われました。「先祖供養月次祭」におきまして、会員の皆様のお立場に置かれましては、オンラインからのご参列のもとに、皆様とご一緒に、祭祀を執り行わさせていただきました。
七月の月次祭におきまして、時節として、先祖供養祭を執り行わさせていただき、式次第におきましては、施餓鬼供養も執り行わさせていただきました。
式次第のお話におきまして、七澤久子代表理事よりお話がございました。御先祖と共に生きるなかで、永遠の今があり、自分自身があるということ、そして今回の祭祀におきましては、無音の忍び手の拍手において、一つひとつのおことわりとして、感謝と御礼の気持ちのもとに一つひとつの拍手、所作があるということのお話がございました。「命は自分が運ぶもの」というお話を共有していただき、どのような方向に行くかは、自分で決めていくということのお話が共有されました。
「はふりめく」のカレンダーにおきまして、「明るく、楽しく、元気に、前向きに」という御言葉をお披露目されるなか、御先祖の御魂を鎮魂させていただくということは、「明るく、楽しく、元気に、前向きに」生きることであることのお話を共有していただきました。そして、御先祖の御供養をもって、平安清明をお祈りさせていただきながら、生きている証を自ら確認していくことの姿勢が大事であることのお話を共有していただきました。
祭員の横山さんからお話がございました。何かを掴んでいることが、悩み、苦しみを作り出しており、そこから動けなくなっていること、そして、そのことに気づき、手放すことが大事であることのお話を共有していただきました。
お祓いを通じて、御先祖であり自分自身であること、そして、御先祖と一体であることから、自然の草・木・山・川・風・鳥の声と共にお祓いをあげている感覚、五行の神々と一体となり、そして、自らの一人のお祓いが、全体のお祓いとなってくることのお話、さらには、イメージとしてのお祓いではなく、感覚のほうからやってくること、求めずしてすでにある感覚として、一音一音の神々のおはたらきを自覚して、難しく掴もうとせず、シンプルに行なうことの大事さのお話を共有していただきました。
当方からもお話をさせていただきました。御先祖の御供養を通じまして、御先祖の御魂を丁重に鎮魂させていただくなか、様々な情動のもつれを、丁重に慰霊させていただきますこと、
そして、生きる立場としての遠津御祖神の自覚のもとに、情動の本来のあり方に自らも気づかさせていただき、御先祖からの愛の思いに、愛行をもってお繋ぎさせていただくことのお話を共有させていただきました。
詳細の各お話は、白川通信にて、あらためてご確認のほど、よろしくお願い申し上げます。
令和六年 先祖供養月次祭におきまして、誠にありがとうございました。