「白川学館 鎮魂祭 新嘗祭」が執り行われる

令和3年11月22日、23日に行われました、白川学館 鎮魂祭、新嘗祭の活動のご報告です。11月22日、夜間の時間の結界に合わせて、鎮魂祭を執り行わさせていただきました。そして、白川学館に伝わる五霊五魂、各神拝作法を、皆様と共に執り行わさせていただきました。式次第におきまして、八神殿の神々をお迎えさせていただき、自修鎮魂法、六種鎮魂神拝作法をもって、鎮魂の本義を共に確認させていただく祭祀ともなりました。

翌日の白川学館 新嘗祭におきましては、神人共食の祭祀として、本年度の稲穂が奉献され、公の平安清明を共に予祝させていただきました。

このたびは、コロナ渦の社会情勢が緩和されましたところから、リアル参加として多くの方々がご参加されました。そしてリアル、オンラインをもって、約100名の皆様のご参加のもとに、新嘗祭を共に執り行わさせていただきました。祭祀の後には、七澤久子代表理事をはじめ、各諸氏よりお話がございました。

七澤久子代表理事より、白川学館 鎮魂祭のお話をいただきました。そして、日本語のあり方として、一音一音の大事さのお話と、日本語の美しさは母音のあり方にあり、日本語の語尾の母音のあり方が、日本語の言葉の美しさの特徴としてあるということのお話がございました。そして、新嘗祭においての悠紀田、主基田の田んぼのあり方が伝承されているなかで、ふとまにの里におきましても確実に再現させていただき、公の活動場所として、創造展開がますます進んでいくことのお話もございました。

小野寺理事からは、新嘗祭の本義のお話がございました。新嘗祭におきましては、神人共食として、食物を食することと、神を食するという言葉の表現を使われるなかで、産霊(むすひ)の働きをもって、神と人が繋がることのお話がございました。そして、お祓いにおいては、日本語の一音一音が大事であることのお話をいただきました。日本語が田んぼに見立てられるところから、なぜ田んぼになるのかということのお話におきまして、日本語は一音一義で成り立っていること、そしてそこから一音一音を大事にしてきたことから、日本語の特徴ともなり、祓詞に反映されてきたということのお話がございました。原始キリスト教の御神体が言霊であることや、アルメニア語の一音一音にも音階があること、そして、一音一音にも意味があることのお話もございました。

白川学館の活動にご協力いただいている大伴様からもお話をいただきました。新嘗祭をもって、食物に感謝すること、そして、感謝することを共に確認する場として、とても大事な文化であるということのお話をいただきました。そして、リアルでの祭祀が執り行われたことから実際にリアルで、同じ空間を共有することの素晴らしさを、ご感想として賜りました。大伴様の日々のご活動のお立場から、今日の社会システムの現状のお話もあり、食糧問題が今後も一つの大きなテーマとなってくるというところのお話をいただきました。そしてそのような社会の現状においてこそ、他者を思いやり、自他ともに一人一人が意志をもって、皆で共に作り上げていくということの姿勢のあり方が、今後ますます大事になってくるということのお話がございました。

本年におきまして、白川学館の歳時記の学びとして、鎮魂祭、新嘗祭と、連日の二日間に渡り執り行わさせていただきました。今後も白川学館としての公の活動のあり方を、祭祀、各講習をもって、しっかりと共に確認させていただきながら、今後も共有の学びを共に深め、広めさせていただきたく存じます。

あらためまして、このたびはリアル、オンラインと各お立場におきまして、ご参加いただきまして、誠にありがとうございました。

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